マイナス運気が抜けたのに・・・
低迷運が終わり、いよいよ新たな展望も開ける発達運を迎えた筈なのに、ちっともいい事もなく、心が変わっていく感じもしない。これじゃ、運命学も信じられない。
そんな思いの方々が大勢居られる。二月立春より、暦も新たに、「さあ、今年はバッチリ決めるぞ!」と決意したものの、はて、さっぱり新機軸も立たない。「占いじゃ完璧な発展運なのに、どうして?」と逆に落胆する人も多い。
この季節は、そんな混迷バージョンの発生する時なのである。さて、その理由について考えて見ると、答えは実に簡単なのである。
低迷運を過ごした人は、低迷なるがゆえに、心身ともに疲弊しており、平常値のレベルになっていないのである。マイナスの残留思念に囚われていて、未だ新規に動き出せる情況に到達していないだけの事なのである。
ちょうど、病人が長患いをして、ベッドに寝たきりの様を考えて見れば解ると思うが、病いが回復して、ベッドから離れても、すぐには歩行も出来ないのと一緒なのである。
脚はふらふら、真っ直ぐ歩く事も叶わないのである。
運気回復の期もこれと同じ情況であり、いきなり駆け出すのは無理というものである。それなりの歩行訓練もして、食生活も戻し、リハビリ期間を設けてから現状復帰を果たす訳である。
すなわち、今の季節は運気のリハビリ期と理解すべきなのである。しかしずっと幸運期を継続している人は、変わらず走りこんでいるので、そんな様を垣間見るにつけ、心は焦るばかりとなる。しかし自分はまだその領域に居ない事を自覚するべきなのである。
このあたりの運気のカラクリが解っていないと、かなりトンチンカンな場面となり、いたずらに占い師も信用を落とす事になる。
「今年は画期的にいい運気ですよ!」と告げる時に、クライアントがこれまでどんな情況に居たのかを推求しないと、実際の運気転換地点の読み取りが出来ない事となるのである。人の運とは、台風の後の快晴なんて事にはならない事を知るべきである。
占断結果に良いものが出たとしても、実現のプロセスがいかなる展開となるかについては、深い読みが必要なのである。尋ねる側も、答える側も、暦の組み合わせだけで、運命を語るだけでは、人生の実像は見えてこないのである。
問題は生きている当事者の現実であり、運勢論は、活動、躍動、休止、停止など静動緩急の生体リズムだったり、人生を彩る内外の環境的推論なのである。この勢いの強弱については、個々人の現実情況を掴んで、時を把握しなければならないのである。
良い運気は必ず自分を活かせるタイムテーブルなのであるから、実態を見ながら、焦らず自分と向き合っていけば良いものと思われる。先ずは運気を復調モードにしてから、先の発展プロセスへと徐々に移行する事を心がけるのである。
一気呵成に幸運の達成領域を目指せる程、エネルギーが無いと自覚して、ゆっくり本当の運を掴むよう考えれば良いのである。運は向こうから来る事は無い。自分が引き寄せるのだから、しっかり自己対話をすれば、自ずと答えが出るものである。
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