封印されたように恋の花咲く事も無く生きる人。
ちっとも辛くなかったと言う。寂しくもなかったと言う。
ただ、恋をする事がどういう事なのか解らなかっただけと言う。そんな女性が増えている今日この頃。
独りで生きていくのが、決して大変じゃない。普通に仕事をして友達と楽しんで暮らしている結果、あっという間にこんな年になってしまった。自分のテーマが何処にあるのかも大して考えてこなかった。毎日が充実もしていたんだし、悔いる事なんて無かった・・・
そんな情況でふと我に帰る。何かが足りない。これから生きる指標が見つからない。何となくじゃなく、揺らぎのない人生が創りたい。そんな思考が始まって、少し慌て始めると、行き着く先は独りじゃない生活圏の模索になっていくのである。つまり愛し、愛される対象を求める所となるのである。
青春のうねる時代性に恋をして、自らの愛情生活を創造する人と、自分の立ち位置を創ってから、愛情を求めていく人との、様々なタイプがあるのだと思う。
運命論的には、開花年齢にタイムラグがあって、早熟型と遅咲き型、その中間型といろいろあるのだが、相談例では、遅咲きの人は、かなり厄介な思考の迷路を伴っているのである。いまさら、経験則の無い情況を相手に悟られるのはプライドが傷つく訳で、恋愛のノウハウを知らずに此処まで来てしまった事を告げる勇気も無い。かといって、どういったやり取りをするのか、どう対応していけば良いのやら、といった、根底にある恋愛音痴が邪魔をして、頓珍漢な場面を作り、思いが遂げられない事になるのである。
究極は男の心が見えない。ケーススタデイが無いのだからまさにヨチヨチ歩きの態である。見かけはもうすでに何度も恋の花が咲き青春を謳歌したかのごとくである。向き合う人との関係でつい、拒否形になるのは、実はただ演じ方が解らないための臆する心なのだが、相手は避けられたと理解して去っていくのである。或いはすでに意中の人が居るように見えていたりする。
こんな場合は、つとめて正直になる事を勧めている。
愛を求める気持に素直になってカッコをつけず、ぶつかっていく事が大事なのである。恥ずかしい事じゃない。知らないものは、何処まで行っても知らないのだから、一から始めて頑張るしかないのである。
女性ばかりではなく、男性も又、恋愛音痴が増えている。
大事なのは、素直になる事。嘘をつかない事である。
人生の開花期は人それぞれ。頑張って欲しいものである。
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