
言葉で告げられない想い
何をどう言っても伝わらない 解って貰えない
だから いつしか口を閉ざしてしまう
そんな時 浴びせられる言葉に操られ
いつの間にか 相手の言いなりに自分が作り替えられている
"きっとこうなんだね きっとキミはこんな風に思ってるんだよね!”
自分の想いも感情も何もかも 語りかけられるままに任せていたら
まるで自分じゃない自分が勝手に動きだしている
"何だか違うな?”と感じても
もう取り返しのつかない所に自分が連れ去られている
自分を捕まえることなんか出来なくなっている
抗うことも叶わぬまま 別人格の私が歩いている
いろんな人と対座する度ごとに
その人の当て推量のままに 様々な私が作られていく
応えるのが面倒くさくて 説明するのが難しいから
相手の代理思考に身を委ねて
ただ相槌を打つだけの対話を繰り返す
決して対話なんかじゃないやりとりをしているうちに
自分が一体誰なのか 解らなくなっている
自分の想い 自分の感情
何が好きで何が嫌いか
何を求めて 何を拒むのか
何をしたい 何がしたくない
何処に行きたい 何処が居心地がいい
どう生きたい どうしたい 本当にどうしたいのか?
自己確認 自己表明を苦手とする人が増えています。
あれこれ追求されて返答に困って沈黙する場面となる。
そんな時、自分の代わりに考えてくれたり悩んでくれる
人が居たら闇雲に依存する事になるのです。
理路整然と代弁して貰えるのは有り難い。
"その通り”と相槌を打てばいいのだから…。
でも、果たして正しく代弁しているのかどうか?
あくまでも、その人の推量憶測でしかないものに
同意しているだけなのですから。
自分が自分で在り続ける事を模索しなければならないのです。
そのためには、自分の言葉を持たなくてはならない。
自分の言葉で自分を語っていかなくてはならない。
他者と向き合う前に自分自身と向き合わなくてはならないのです。
先天的な気質性情に加え幼児体験や成育環境
(親や兄弟、教師や友人関係)が原因となっていることが多いのですが
ならば余計に努力して克服しなければならないのです。
又逆に、人と対座する時、相手が寡黙だと
知らない内に誘導尋問になったり、憶測で話を
進めてしまう事もしばしば起こります。
相手の実像から乖離しているのに気付かない。
相手が頷いているので、どんどん話を続けて膨らませていく。
結果は不毛な対話であり、互いに意志疎通を得ぬままに
次第に関係性も悪くなっていくのですが…。
人生を創るのは、まずはじめに
『確かな自分』を作り上げていく事です。
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