クライアントと対座して思う事
問われて占断する際に、事の吉凶成否もさることながら、その質問の必然性や整合性が問題となる。もっと平たく言えば、問う側の真剣さである。何となく聞いてみましたなんていう場合は、占者も何となく答えてしまうものである。ふと思いついて聞く事が重要なテーマとは思えず安易に即答する訳である。この安易さが意外な落とし穴になる事がある。占う内容は、事の大小を問わず、人生の在り様にリンクしていくのであるから、すべて心して問いかけるべきである。
真剣に問われる時には事を分析し推理しながら、占者も読み落としがないように注意を払うものであり、誠意を持って答えるのである。
実は本音では真剣な願望や志しなのに、軽い聞き方をして、駄目と言われて落ち込む人が多いのが現実である。恥ずかしいと思ったり、不遜な願いだと思ったりする事で人生の方向付けに関する未来予想が、安易な決着のつけられ方をされ、願いそのものがスポイルされる場面となってしまうのである。
その意味で是非、聞き上手になってほしいと思うのである。たとえば、将来のビジョンを問う時には、難しいという答えになったとしても、何が問題で駄目になるのか、どう対処すれば良いのか、ぐらいの差し戻しの質問を是非して貰いたいものである。そうした対話の中から新たな展望が、導かれてくるからである。自分の人生は自分で創っていくものであり、占者は、その方向性に対して補佐助言を与えるのが使命であり、ジャッジメントをする筋合いなどないのである。
駄目なら駄目ようを問いただすべきであり、対応策まで聞く執拗さがあって、はじめて占断に委ねながら達成領域の可能性を模索するスタンスになってゆくのである。占い師が全てを知っている筈もなく、事の成否の予言がズバリ当たる確証もないのである。言われるままに、行動選択をしてしまったら、ただの操り人形でしかないのであり、自分の人生を他者に預けてしまう愚を演じる事となる。
自分の心の中に明日のすべてがあり、その心は実は脆いものであり、無作為に生きていると知らず他者の心理的介入を呼び、操られていくことを知るべきである。まして運命相談の現場は、相当に究極の心理誘導の情況となるのである。「意向を定める」事が大事なのは、他者の意見に振り回されないためであり、確固たる自分を創るためである。
質問の連続を嫌う占術家が多いのも事実である。問い返されると占断結果の整合性が怪しくなってしまう未熟者も多く紛れ込んでいるからである。少し怪しくなってきて、これ以上聞かれたくない場面で「あんた、そんな考えじゃ地獄に落ちるよ!」なんて、威嚇行動にでる術家もいるから恐ろしい。そんな場面は、「こっちから願い下げだ!」という毅然たる気持ちになってほしいものである。
いつの世も占いは、人の心象に入りこんで人生を操るものである。操られる事無く有効利用するためには、日常の自己対話が必要になってくるのである。まずは自分ありきである。占術家と対座する時には、是非真剣勝負をして頂きたいものである。
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