
苦しむ情況はしばしば起こる
自分がどれだけの存在なのかが解らない
自分らしさって何なのかも解らない
自分らしい行動が取れない
何をやってもうまくいかない
周囲から疎外されている
誰からも愛されていない 理解される事もない
切ない 哀しい 寂しい 侘びしい
辛い そして「苦しい」という事になる
運気の狭間に差し掛かった時に こうした境地になるのだが
人はたいがいその原因を置かれた環境のせいにしたり
他者の自分に向ける波動を曲解して被害者意識となり
問題をすり替えてしまう事が多いものである
運は決して向こうからやって来る事はない
苦しむ情況のその殆どは自らが招いた事であり
他者や環境が無理強いして仕向けた事ではない
時代情況や社会構造から来る不可避的な事柄
(リストラによる失職や景気変動による減俸など)
或いは先天的な疾患(突発的な病いもある)に悩む事もある
こんな場合を除いては皆 自分の内なる心の領域の問題である
苦境になれば 否応なしに自分と向き合わなくてはならなくなる
どうにかして抜け出る方向づけを考える事となる
これこそが 天が与えた自分への気付きの時なのである
自らが望むもの 求めるもの 幸福の実体 生きる喜びの実体
生きる糧 つまりは生き甲斐といったもの
そんな事が眼前に迫り はっきりと見えてくるのである
拒否されたり 制限される事で
本当に手に入れたいものが明らかになってくる
同時に叶えられないものも見えてくる
自分の達成領域の限界数値も突き付けられる
自らの行動の軌跡を認識すれば
無知や錯誤や怠慢や慢心といったものまでが見えてくる
「苦境は置かれた環境だから」と
決め込んで逃避行を選ぶ人が多い
環境を変える事で全てが回避出来ると信じて
すぐに転職してみたり 自分の立ち位置から
離脱して他所に出奔するのである
しかし自らの心象レベルが低く
さらに混沌としていながらその答を環境のせいにした人は
尚一層の苦境に追い込まれる事となる
気付きの時を持つ事なく心も創られていない情況で
ただ環境を変えた所で、自分は何も変わっていないのだから
同じ現象が再び起こる可能性が大きいのは自明の理である
身に起こる事は心の写し絵なのだから
起きた現象から自分を振り返り
総括して新たな自分創りをしていくのである
思考と行動の基本軸を再構築していくのである
苦境は悩みの入口だが 同時に自己発見の入口でもある
自己発見から自己対話へ向かい 自らの成長に繋がっていくのである
苦しむ事は未来を創る天からの恵みと知るべきである
人は苦しんだ分だけ楽しむ
そして真に苦しんでみないと真に楽しむ事も出来ない
苦境を恐れてはならない
雨が造った水溜まり そこに写った街路灯の光
ゆらゆらとして 彷徨う心の写し絵のよう・・・
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