
自分には欠けたものがある
いや欠けたものばかりだ
何もかもがチグハグだ
それが許せない 我慢ならない
駄目な自分を何とかしたい
どうにかしたい
あの人もこの人も
誰も彼もが 自分より立派に見える
悩みも苦しみも無いように見える
今居る自分が恥ずかしい
消し去ってしまいたいほどに 悲しい寂しい
一体 自分て何? 自分は何者?
何が自分にあるのだろう
何が出来るのだろう
何も出来ない 出来っこない
足りないものばかり
欠け落ちたものばかり
生きていけない
こんな自分じゃ生き抜いていけない
誰か教えて欲しい
誰かワタシの手を引いて欲しい
“ワタシは何処へ行けばいい?”
答えの無い 問い掛けを風が連れ去っていく
いつまで待っても 誰も教えてくれない
手を引いてくれる者も無い…
途方に暮れながら この場所に佇んで
いつまで こうしているんだろう…
… … … … … … … …
悩んで悩み抜いても自分が見つからないのは、
見つかるはずのない『自分さがし』をしているからです。
そう思う前に、今から少しずつ自分を創り始めてみたらどうでしょう。
何かを始めてみましょう。何かをしながら自分を感じていく、
自分を見つめていくのがいいのです。
“此処は何処? 私は誰?”なんて悩まずに、
何かをやってる自分から答えを出していくのがいいのです。
すでに何かをしているのなら、そこから自分を創っていけばいいのだから。
もし、そこが自分の居場所じゃない、自分が生かされないと思えるのなら、
少しだけ自分が見えているのだから大丈夫。
そんな時には、自分を探すのは止めて、自分の居場所を探すことです。
自分を活かす場所を探せばいいのです。
むしろ自分は、ほんの少し見えているぐらいがいい。
まだまだ解らない、解らないから、解るために生きればいいのですから…
人は『生きた分だけ解る。そして解った分だけ生きる』
そういうことです。
写真は抱き枕の鴨嘴(カモノハシ)PONちゃん
一緒に寝てやらないのでかなりいじけモードです