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自分が造った檻
2011/01/29(Sat)
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“窮屈で仕方ない 自由に動くことも出来ない”
“飛んで来る 人の視線が体中に突き刺さって痛い”

狭い檻の中で 柵を握りしめて
そんな風に嘆いているかもしれないけれど

一体その檻は 誰が作り出したのだろう
そして誰がキミを閉じ込めたのだろう

キミは知っているのだろうか?
キミは解っているのだろうか?
夫や妻 親 兄弟 友人 会社の人間…?
そう思い込んでいないだろうか?

取り巻く人間に迫害された
追いやられた 追い込まれた
檻に繋がれ拘禁されて 錠まで架けられた…

だから 恨み辛み 憎しみも生まれてしまう

だけど本当は だれでもない キミが造り上げた獄舎
『思い込みの檻』 なんだよ
造ったのも入ったのも キミ自身なんだよ

“違う!”と叫びたいかもしれないけど
いつか 解るはずだよ きっと気付くはずだよ

キミが少しづつ 心を変えていけば
妄想概念は消えていき
そして檻の柵は自然に外れ

簡単に広い世界にでられることを!

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共に響く
2011/01/28(Fri)
20080121105119


太く細く 高く低く 長く短く

気の流れに感応して
その度ごとに音色を変える

心の奥底の深く遠い所に魂の記憶がある

振られた鈴から発する音同士が共振し共鳴し
共に響き合い 互いの胸に谺(こだま)する

遥か遠いあの日の空気と光に包まれて
まどろむように 心が解き放たれて
和やかで優しい音色で鳴り響く

心の共振 魂の共鳴

幾重にも巡り巡る転生
微かにその記憶のヒダが揺れ
荘厳に輪廻の調べが響き渉ってくる
魂の邂逅は知らずに あらゆる場面で起きている

想念に蓋をした 閉ざされた心象の人達は
何も気付かず 交わす言葉も想いも無いままに
哀しいすれ違いの交差を繰り返す

気付いてみたらいい
心を開いてみたらいい
閉ざした想念の蓋を外してみたら
胸の奥に広がる心象世界に 大きなうねりがくる

たとえ それがイリュージョンだとしても
次元の境界線を越えて思念を巡らすのは

自らの存在領域や 自らの心を見詰める
新たな視座となる

『共鳴・共振』復刻版

だいぶ以前に書いたこの記事を再び読んでみました。あの時の視点とは又趣を異にして更なる感慨があり、そんな思いを込めて復刻改稿してみました。

ところでお気付きの方も居られますが、昨年の暮れからしばしばリメイク版の記事が続いています。皆様は退屈もされたでしょうが、私事ながら復刻版は、回想と同時に再読する事により新たな視座が生まれたり、自らの思考の流れの変化が確認されたりして、次元の違った自己対話をした気がして居ります。さらに、記事の配列や更新の文章との組み合わせで『美老庵日記』の全体構造の方向づけを模索しています。
ですから又時々は古い記事を取り出しては復活させて新たな息吹きを与えて再登場させる場面も多いかと思います。

よろしくお引立ての程、お願い申し上げます。

美老庵 鎌田康秀

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涙は何の滴(しずく)
2011/01/27(Thu)
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その柔らかな頬を伝う涙は
何の滴だろう

心に巣くった澱を流すものだろうか
悲しみにくれる涙の滴だろうか

それとも
寒々とした孤独な心が
人知れず 搾り出したものだろうか

流れるままに 零れるままに
溢れるままに 伝うままにすればいい
渇えた心 乾き切った心を潤し癒す滴だろうから…

泣いたらいい 気が済むまでむせび泣いたらいい
寂しさも 哀しさも 辛さ 苦しさも 何もかも
涙の河に流せばいい 味わった悲しみの分だけ
奔流となった河に すべてを流し去ってしまえばいい

いつか そんな涙も涸れる日がくるから
だから 新たな潤いを取り戻すまで

心が優しい陽射しを浴びて
胸の奥底まで光が射し込んで
すっかり心が立ち直る その日まで

憂いを含んだ横顔で じっと佇んでいればいい

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仄かな光に包まれて…
2011/01/26(Wed)
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木洩れ日が仄かに温もりを連れて
やさしく射し込んでくる

いつまでも佇んでいたい

寂しくて 哀しくて
心が綻(ほころ)んでいる時には
こんな光が嬉しい こんな穏やかな時空が嬉しい

全身を陽の中にさらすのは辛い
辛すぎる そんな時には

そっと心に射し込んでくるような
優しい光に癒されて 窓辺に佇んでいたい

まだまだ 外に飛び出す勇気はないから
もう少しこのままで この温もりに包まれていたい

寂しさが 哀しさが消えていくまで
こうしていたい……

でも こうしていることが 本当は
反って悲哀の渦に自分を置くのを知りながら……


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自分で立つ
2011/01/22(Sat)
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期待が大きければ大きいほど
失意落胆の穴も大きな口を開けて待っている
切望すればするほど 遠のいていくのかもしれない

『揺らぎない絶対的な味方』が欲しい

そう渇望した時から 失望から絶望への道が
開かれてしまったのかもしれない

無償の愛に近い 親子でもないかぎり
期待なんて出来ない事だったのに
否 肉親であっても決して
依存なんか出来ないし してもいけない 

それなのに好きな人に それを求めた瞬間から
目の前の扉は固く閉じてしまったのかもしれない

幾度となく 繰り返してきた期待と失望
待ち受ける結果を知りながら 無意識に望んでしまう

そんな弱い心を抱えて
とぼとぼと歩いていたある日
ふと 耳の奥から微かに声が聞こえてきた

「それは オマエしかいない」

「えっ!?」と一瞬立ち止まり 耳をそばだてる

聞いたことのない声
厳しさの中に優しさのこもった声が響きはじめる

立ち尽くす足元に 小鳥が舞い降りた

ワタシ… わたし… 私…

私の絶対的な味方 それは『わたし』しかいない

そうなのかもしれない…

人に求めてばかりいた
「誰も望みを叶えてはくれない」と嘆いてばかりいた

薄い膜に覆われていた目の前が
靄が晴れたように 次第に澄んできて
そのうち見る見る鮮やかに彩られていく

立っている足元の地面が
しっかり自分を支えてくれている
そんな気がして 遠い空を見上げた

幾条もの光が差し込んで来てわたしを包んでいる

私は『わたし』で立っている事を自覚して
体中に力が漲ってくる

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心の中の空
2011/01/21(Fri)
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氷雨の日ばかりじゃない
強風吹き荒れる日ばかりじゃない
澱んだ曇りの日ばかりじゃない

それなのに 心が閉ざされて
俯いてばかりいると

辺り一面 黒雲に覆われた日
ばかりのように思ってしまう

靄が立ち込めたり
霧の中に閉じ込められたり

でもキミの上にだって
青空が広がる日が必ずあるはずだ

何処までも広がる空 透き通った大気
時には 空を見上げて欲しい
ゆったり流れ行く雲に 心を任せてみて欲しい

キミの心は固まってしまったわけじゃない
ゆっくりでも 動いているのだから…

さあ いつまでも俯いてなんかいないで
いつまでも打ちひしがれてなんかいないで
いつまでも落ち零れてなんかいないで

さあ 自分の思いが造り出した靄も霧も祓って
心の中に青空を創ろう

燦々と降り注ぐ陽の光を浴びながら
希望に燃えた明日を創っていこう

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運命とは
2011/01/20(Thu)
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運命は『運ぶ命』であり定められたものにあらず…

こうなるもあぁなるもすべて運命
人生は予め決められていて
定められたレールの上を行くもの

私の運命はどうなっているのでしょう?
私の人生はどうなっていくのでしょう?
そんな問い掛けをする人は

人生は予め決められた
レールの上を行くものだと…
そう思っているのだろう

生まれる場所 時代 性別など
自分の選択の余地のない世界がある
これを宿命という『宿った命』であり
全くの不可侵領域である

しかし運命を解析するとき
『運』という字が当てられる事を
充分吟味すべきである

運とは『運ぶ』の意味であり
そしてたとえば運勢とは
『運ぶ勢い』を指すのである
勢いの有る無しで「命の営み」の
強弱や旺衰を語るのである
吉凶はその後の概念となる

したがって運命も『運ぶ命』の意味であり
そこには かなり主体的な自己意識の発動がある
運び方いかんでいかようにも
人生が変えられていくのである

確かに人生はある程度は決められているのだろう
或いは殆ど定められているのかも知れない
神の領域では きっと揺らぎない法則の中に
人生が動かされていくのかも知れない

だが 誰しもが運命の流れのすべてを
読み取る事など不可能であり
運命学も又 解析に関して何らの
学理的正当性を保つ事など出来ないのである

生年月日時を命理盤
(或いはホロスコープ)として分析しても
出生率を考えてみれば それがどれだけの
人数になるかで個人の生涯を語る
根拠たりえないのは自明の理である
命理学信奉者が得意満面に
絶対視する姿はかなり滑稽でもある

不確かなものが人生
不確かなものが運命

その不確かなものを
より確かなものに変えていくのが
それぞれの人の思念力であり行動力である

大事なのは『意向を定める』ことである
人生の方向づけ 意味づけを持つ事である

又 今後の自分を想像して
幾通りかの仮説の中にシュミレーションもいい
運の運び方を考えられるからこそ人生は面白いのだし
その結果が心の写し絵であることから
自分の心象も吟味理解し得るのである

もし失敗したとすれば
それも自分の想念意識の結果なのである

運は自分の中にある
決して外からやって来るものじゃない
そしてあらかじめ決められているのじゃない
明日は自分で創っていくものである
それは運の受け皿を創る事
そこに確かな運を呼び込むのである

占術も命理学も相学も 運命を語る時には
未来視座を断定的ではなく豊かな発想で
あらゆる可能性の模索をしていくのが本道でる


「おいで おいで」
写真は 皿の上で運を呼び込む『招きウサギ君』

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心の中に輝きを
2011/01/19(Wed)
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胸の内に 心の中に

誰でも一つか二つは

輝くものを持っている

大事なもの 拠り所 叶えたいもの 願い

夢 希望 理想 ・・・

何でもいい それを大事にしよう

明日に向かって 生きる熱情を呼び起こすために

光り輝くものを持とう


たとえ 人から妄想だ 幻想だと言われたっていい

輝くものが無かったら 心は闇の中

胸の内には虚ろな風が吹き抜ける

思いを強くして

ただの妄想でもいい ただの思い込みでもいい

心の中に 胸の内に 輝きを失ってはいけない

その輝きが 行く先々を照らしてくれる


あなたの人生の道標になってくれるから・・・

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飛龍在天
2011/01/17(Mon)
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飛ぶ龍 天に在り

易卦 乾為天 五爻

達成の喜びに 龍が天高くに飛遊する様

ふと立ち寄った雑貨屋の店先 龍が目に飛び込んで来る

何かいい事の起こる前兆か?

ふと偶然に出会うものから

強く気が発揚する事がある

運気は 自らの心象にある

対座するものから 何かを感じ取る事がある時は

近未来の変化の兆しと受け止める

皆々様にも 龍の勢いを差し上げます

飛んでみましょう

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高く聳える
2011/01/15(Sat)
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見上げる空に聳え立つ摩天楼

目も眩むような 威容を誇る

夢は大きく 志しは高く

そんな思いを抱けるほど

短い生の中に居ない 過ぎた時に風化した志し・・・

高く聳える 天空に吸い込まれるような

視座を反転すれば虚空に落下するような

そんな思いを抱きつつ 思考が散じていく

運は昇れば昇るほど 落ちる時の加重を増す

低く昇れば 落ちても死にはしない

ほどの良い上昇を果たしていくのがいい

足る事を知る

そんな思いに駆られる絶妙な風景

新宿南口 サザンタワー

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遠きあの日
2011/01/14(Fri)
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遠い遠い あの日の情景

幼な子達が我を忘れて遊ぶ

懐かしい心の原風景

生きた事も無い時代の光景が

心の中で逆旋する

生命のカルマ 魂の呼び起こす記憶・・・

何故か心地よく 胸の中がじんわりとしてくる

受け継がれた記憶が体中を駆けめぐる

引き戻される時の流れは

繰り返し甦り 心に宿る

遠いあの日の情景は

私達の心に しっかり根付いている

江戸東京博物館

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相談室移転しました 1/8
2011/01/09(Sun)





隣の隣の部屋に移りました

403から405 全く間取りは一緒で
レイアウトに悩む事もありません

リニューアルされ内装もきれいで
すがすがしい空気が部屋中に流れています

お客様からお祝いのお花を頂きました

小さな部屋ですが生花の放つ強大なパワーを賜り

素晴らしい景気づけとなり 有り難い限りです

心機一転 このパワーを皆々様に献上いたします

『春風献上』 !!!!!

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浄化・素に戻る
2011/01/06(Thu)
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心に溜まった澱が胸の中に滞留して

何もかもがチグハグになっている

愛する かけがえのない人に

思ってもいない 残酷な言葉をぶつける

共感も持てない人の誘いかけに

嬉しそうに 微笑み返しをする

欲しくもないものをむしり取る

そして失ってはならない大事なものを放り投げる

楽しくもないのに満面の笑み

悲しくもないのに零れ落ちる涙

此処はどこ? 私は誰?


自分の心が自分に乗っからない

勝手に動き出す体

勝手に口を衝く言葉

胸の中に潜む 魔の心

誰かが いつしか棲みついた

もうひとつの私 もうひとつの人格

いや もっとあるかもしれない別の私

まるで操り人形になったみたいな

どうにもならない心の様・・・


自分が見えない 自分が解らない

何が欲しくて 何がいらないのか?

何がしたくて 何がしたくないのか?

行きたい所が何処で

居たい所が何処なのかも解らない

どうして こんな私になってしまったのだろう・・・



大なり小なり犯す過ちなのだが、なりたい自分を探し求める過程で、人は幾つかのパーソナルデザインをしてしまう。最初は類型的なバターンを模倣する所から始まるのだが、次第に成りきる事に躍起になり、別人格を心に醸成するようになる。

立ち居振る舞いも、らしくなって擬似人格であるのをいつしか忘れてしまうのである。

すっかりその気になって思考レベルまでが出来上がったと知覚した時、次はさらに新たなパーソナルパターンへと移行していくのである。実はただの思い込みであり、自らの心めがけての詐欺行動でしかないのだが、成りきりの怖さは、成りきった瞬間から真の達成自覚を錯誤する所にある。

そうして、様々な複合人格を持ってしまうと、最期は思考と行動の軸が揺らぎ始め、ついに憑依性人格障害の様相となる。

思考と行動がチグハグになってしまうのは当然の成り行きである。マジナイ系の人間には丸ごと憑霊さばきの対象になる症例である。

心の浄化が必要になってくる。自分の素の状態に戻す事が大事になってくる。
なりたい自分となれる自分、そしてなれない自分を考えてみる事である。

無理をせず、自分に嘘をつかず、洗いざらい自分を晒してみる事である。

一枚一枚纏った衣を剥いでいくのである。大変な作業だが、剥ぎきった所で本当の自分と再会のドラマとなる。

本当の自分は、実は案外覚醒した意識構造を持っている事を知るだろう。

物の怪が憑いたといえばその通りで自念錯乱の産物なのである。

こんな情況に陥る人がどんどん増えている怖い時代になったものである。

人格すらもが、ダウンロードしてインストール出来ると思うのだろう・・・

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初詣
2011/01/04(Tue)





二日に川崎大師

三日には地元の布田天神(調布)

今年一年の願掛けに行ってきました

私共々 皆様方に幸多き年となりますよう

心を込めて祈念いたしました

厳しい世情ですが 実り多い人生にしていきましょう


美老庵 鎌田康秀

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