
心が疲弊して思考が澱みはじめている
自分が何者なのかも解らなくなっている
いつの間にか意識も混濁して
何もかもが混沌として捉えどころがない
知らず知らずのうちにいろんな場面で
いろんな毒を取り込んでいるのだろう
妬み嫉み(ねたみそねみ)恨み辛みの感情を
持ったり投げかけてしまったり
逆に四方八方から飛礫(つぶて)のように
悪想念や悪感情をぶつけられたり
そんな風に自他が作り出す邪(よこしま)な想いが
心に胸に滞留しているのかも知れない
関わる人々の濁り錯雑とした波動を受けて
平穏な境涯の筈なのに意味不明の悲壮感に囚われ胸が苦しい
生きている時空は究極は修羅の場なんだろう
人の歩く道は決して平坦じゃない
曲がりくねった迷路や落とし穴だらけの径
時には険しく入り組んだ錯綜のけものみちもある
曲がり角には魔界の誘惑や奸計もある
そんな時には もう頼るしかない 祈って願って
取り憑かれた毒を解き放って下さる神仏に縋るしかない
意識を集中して深く念じて…
中でも孔雀明王の降臨を望むがいい
『孔雀明王』
元来はインドの女神:マハーマーユーリー「偉大な孔雀」の意。
摩訶摩楡利「まかまゆり」孔雀佛母、孔雀王母菩薩。
金色孔雀王とも呼ばれています。
四本の手には、それぞれ倶縁果、吉祥果、蓮華、孔雀の尾を持ちます。
孔雀は害虫やコブラなどの毒蛇を食べることから
「人々の災厄や苦痛を取り除く功徳」があるとされ古来、
信仰の対象となりました。
そこから後年には、毒を持つ生き物を食べる所から
人間の煩悩の象徴である三毒(貪り、怒り、痴行)を喰らって
佛道に成就せしめる功徳がある佛という解釈が一般的になっています。
魔を喰らうことから、大護摩に際して除魔法に
孔雀明王の真言を唱える宗派も多いです。
又、雨を予知する能力があるとされ、雨乞いにも用いられました。
孔雀明王を本尊とした密教呪法は「孔雀経法」と呼ばれています。
真言密教において孔雀経法による祈願は
鎮護国家の大法とされ最も重要視されました。
経典:大孔雀明王経(大孔雀明王画像壇場儀軌
真言:オン マユラ キランディ ソワカ
諸願成就、消災、除厄、息災延命…
(Wikipedia参照)
仏画 『孔雀明王像』 松井辰子先生勤筆