
想念が暗やんで 心に溜まった澱が
胸の中に滞留して意識も混濁している
何もかもがずれ始め チグハグになっている
愛してやまぬ人 かけがえのない人に向かって
思ってもいない残酷な言葉が 口をついて飛び出る
何の共感も持てぬ人の誘いかけに
感情もないのに 嬉しそうに微笑み返しをする
要らないもの 欲しくもないものを
我先に掴んで むしり取る
大切なもの 無くしてならぬものを放り投げる
喜んでもいない 楽しんでもいないのに満面の笑み
哀しくもなく 辛くもないのに零れ落ちる涙
“此処は何処? 私は一体誰?”
自分の心が自分から乖離する
勝手に動き出す体 勝手に口をつく言葉
胸の中を駆け巡る『魔』 の想念 怪異な心象
いつしか誰かが入り込んだ 棲みついてしまった
もう一つの自分 もう一つの人格
いや もっともっと在るかもしれない
制御できない 何が飛び出るのか解らない
まるで操り人形になってしまったような
どうにもならない 心模様…
自分が見えない 見つからない
何がしたくて 何がしたくないのか?
何が欲しくて 何が要らないのか?
行きたい所が何処で 居たい所が何処なのか?
何もかもが自分の筈なのに 何もかもが自分じゃない
どうして… どうしてこんな私になってしまったのだろう……
………………………………
誰もが大なり小なり犯す過ちだが、なりたい自分を探し求める過程で、人は幾通りかのパーソナルデザインをしてしまう。
最初は原初的で類型的なパターンを取り込み模倣する所から始まるのだが、次第に「成りきる事」に躍起になり、別人格を醸成するようになる。立居振舞、その言動も、らしくなって、創り出した想像上の個性であり疑似人格であるのをいつしか忘れ去ってしまうのである。
すっかりその気で成りきってしまい、思考レベルまで出来上がったと感じた時、次はさらに新たなパーソナルデザインへと移行する事となる。
本当はただの思い込みであり、自らの心めがけての錯誤や詐欺行動にしか過ぎないのだが…
「成りきり」の怖さは、成りきった瞬間から、真の達成自我を認識する所にある。
そうして様々な複合人格を手に入れてしまうと、最後は思考と行動の軸が揺らぎ始め、遂には「憑依性人格障害」の様相となる。 思考と行動がチグハグに支離滅裂となるのは当然の成り行きである。
無論この場合、弱い人間の、自我の防衛という人格武装という心理的背景があるのだが…
呪術家やマジナイ系の人間には、徐霊浄霊といった憑霊さばきの対象となる症例である。
『心の浄化』 が必要となってくる。自分本来の『素の状態』 に戻す事が大事になってくる。
一枚一枚纏った衣を剥ぎ取っていくのである。大変な作業だが、剥ぎ取った所で本当の『素の自分』 との再会のドラマとなる。
その時、本当の自分は、実は意外に覚醒した意識構造を持っているのを知るだろう。
物の怪が憑いた、死霊に取り憑かれたといえばその通りであり自念傷害や錯乱の産物なのである。
こんな怪異情況に陥る人がどんどん増加する怖い時代になったものである。
人格すらもが簡単にダウンロードしたりインストール出来ると思うのだろうか……
『浄化・素に戻る』 加筆改稿