

“明けない闇はない”というけれど
本当に人生の夜明けは来るのだろうか?
それとも このまま月もない夜空の下を
いつまでも何処までも 歩き続けるのだろうか?
明日はまだ見えてこない
明後日などあるかどうかもわからない
今日一日のことすらも確かめられず
身動きも出来ずに 蹲っている…
歩き続けていけば 朝へと繋がる通路に出るのか
それとも道を間違えて 明けることのない
漆黒の闇夜への迷路に入り込んでしまったのか
いつだって その時が来るまで 夜明けの時期などわからない
だから 歩き続けるしかない 急がず 慌てず 諦めず
朝が来るのを信じて歩き続けるのだ
輝く陽の光をいっぱいに浴びる
その時のために…
二十年ぶりに友と会見した。もはや今生で逢う事は叶わぬものと思っていた。消息不明になっていたから…。探す手立てもないままに、身の上を案じながら、時が流れていったのである。
高等遊民の彼は、職業生活も一年半あまり。譲られた財をやりくりしながら、国内を、国外を遊学しながら、『自分探しの旅』 を続けていたのである。自分を知りたい、自分の使命が解らす、自分の身の置き所が解らず、流浪の人生、遊民の境涯となった。
果たして、突然のメールが届いた。バソコンのネット検索で我がホームページに辿り着いたという。
なんと中国の福建省からのメールであった。六年前に大陸に渡り、大学で教鞭を取っているという。
若き学徒に日本語を、日本文化を教授しているという。齢57からの職業生活である。
長い、長すぎる闇の中で、それでも一条の光明を求めて、様々な分野の学理を極めるために幾つもの大学で研鑽を積んだ。その結果、やっと人生の光明を得て、自らの立ち位置を授かった。
長い歳月を経ての邂逅、63才を迎える彼は年輪を重ねながらも尚、溢れんばかりの精気を放つ元気な姿を見せてくれた。
『大器晩成』という紛れもない生き証人である。器が大きすぎて狭い日本には、彼の受け皿が無かったのだろう。広大な大陸の大地こそが彼の才覚を開花する場所なのだろう。
懐かしく、思い出話で時空も逆旋して、あっという間に時が過ぎた。こんな類い稀な友を持てた我が命運に感謝である。
非常謝謝…