神の威光
2008/10/08(Wed)

信仰は シンボライズされた運命への絶対視
いかなる運がやって来ても 揺らぎがない
決して逡巡したりしない 置かれた情況に振り回される事がない
存在意識が確かな宇宙観に支えられている
見えている世界が実体情況だとは思わない
自己実存は 何に依拠するのか? 生きて行く事は 生かされて行く事
大きな 宇宙の意志と 神の威光が 支え 育み 人は生きる 生かされる
生命宿る全てのものは 自分一人で勝手に生まれて来たんじゃない
生まれる必然と 生きる必然があっての事 心に神を宿す者は強い
信仰の道筋に直線的になる事が出来るのは、神の威光があまねく大地に降り注ぐと信じる国々の人達である。アラーもモハメッドもモーゼもキリストも釈迦も・・・
しかし巷に神々の溢れかえる我が国は、一部のカルトを除いては、神々の威光を戴く事もなく、心に宿す神もないのが現実。
自己存在の確証を得るための実存理念の揺らぎの中に生きる私達である。崇める対象も、御都合主義の御利益信仰でしかない。日常の中で神性に触れたり、心に神との合一感を持つこともなく、溢れる神達をその度ごとに使い分け、要らなくなったら何の感概もなく捨て去る。
こんなにも神との関係が軽視された私達の実情は、世界視座でも見当たらないだろう。
しかし、自らの実人生を見つめ、生きる必然に思いを馳せてみれば、解る筈である。勝手に生きているのじゃない。生かされている、大きな宇宙の意思と内なる心に魂の加護がある事を。
神の威光を戴く事は 内なる心の中の霊性に気付く事である。その威光は既に自分の魂魄に宿っている事を知るべきである。
ガネーシャ神


