

『魔』は何処からやって来る? 飛んで来る?
魔に憑かれた 魔を身に入れた後から
急変する人生ドラマ 不可思議な現象の連続
意味不明の行動 解析不能の心象
運気の波を越えた 因果律の概念から乖離した超常世界
憑依 祟禍 霊障 怪奇
魔を打ち砕く 魔を切る 魔を封じ込める
陰陽師 呪術師 そして占術家に救済を求めて
群がり懇願する 魔に憑かれた人達
先祖の祟り 未成仏霊の訴え 水子 死霊 生霊
浮遊霊 憑依霊 地縛霊 さらに前世の因縁…
ありとあらゆる原因追求を繰り返し
これが必然の縁起とばかり 魔を捜し続ける
しかし 本当の『魔』は心の奥底 奥深くに忍び込み
おいそれとは その姿を見せない
勝手な解釈 当て推量で 霊障祟禍として答えを括る
そこで霊を祓えば 手っ取り早い自己救済の道となる
人は自らの意識から逸脱したもの、自らの意志とは異なった
理解不能の現象に遭遇した時に、誰もがふと『魔』の存在を思い描いて
次第に恐怖に陥っていく。しかし怯えると同時に、事の原因を怪奇なるものへと転嫁して、
思考を止め、知らず自己責任を回避したり放棄してしまうのである。
実は自らの神経不安、錯綜とした観念或いは単なる思考混濁や自念障害であるのに、
問題をすり替えて、別次元の手短かな自己救済へと向かうのである。
自分の心の有り様や日々の行いの結果としては考えずに…
よく考えてみよう。魔が一体何処からやって来るのか?
魔は余所から突如飛んで来て、取り憑くものでは決してない。
それは自分の心象が作り出したイリュージョン(幻想)だったり、
抑圧され屈折した精神情況から、自我が崩れ人格が乖離して起こる
妄想認識である事が大半なのである。
或いはもし憑依現象が起きたとしても、それも自らが呼び込んで取り憑かせたのであり、
憑依の受け皿を自分が持っている事を示しているのである。
身の上に起こる事は畢竟、心の写し絵である。
『魔を切る』というのは、究極自分の心の内にある悪想念の揺らぎを断ち切る事なのである。
むしろ自分を裁き矯正する「我が邪念を切る」であろう。
まじないの方術で霊障祟禍を解除したとしても、すぐにも安心立命の境地とならないのは
自明の理である。心の中の想念の歪みを正さないかぎり、
怪奇妄想も錯誤認識も意味不明の超常現象は何度でも繰り返すからである。
憑霊捌きは呪術師や陰陽師の担う仕事だが、
やはり心の内の想念世界を浄化して正さないかぎりは、彼等の仕事は尽きる事がない。
よく考えてみて欲しい。
『魔を切る』復刻改稿
写真は
持鈴(眠れる仏心を目覚めさせる密教法具)
独鋸杵(魔を打ち砕く力と煩悩や苦難を振り払う法具)