

生きる事を考えるのと 生きる事はまるで違うんだ
考えた通りになる筈もなく
考えなかったからといって
訳の解らない現実がやって来るものでもなく
まあ どおって事ねえんだよな
人生なんて 何でもあり!
なーんちゃって
しかし祐天寺美老庵の康秀親爺は
理屈をこねるのが大好きのようで
毎日毎日 あーでもない こーでもない
いや待て! あーかも知れない こーかも知れない と・・・
いやはや疲れる親爺な訳よ 付き合いにくい奴なんだ・・・
『思考と行動の基本軸』に人生が架かっているのだから とか
思いのベクトルを回す事が大事なんだ とか よく解らねえんだけど
生きる事は思う事 思い考える事で人生の意味が拡がるらしい
明日から続く未来を映し出すのは 今日の思い
ただ無為に時の流れに身を任せて生きるのは
心の印画紙に何も写し込む事もなく
ただ虚しい時空の消失を果たすのみ
意識の覚醒した次元で思惟思念したものが
アカシック・レコード(霊性記憶装置)に克明に入力されるのだ
何も考えず ただポーッとして
能天気に座り込んでれば こんなウサギ親父の
トロイ顔になってしまうのだ!バカタレ! と来た
「まいりました その通りであります」
「師匠 なんかためになる本を教えて下さい」
そうだな たまに美老庵日記でも目を通すと良いかもな・・・
アハハ・・・