陽春から夏へと向かう季節の狭間
勢いよく始まった新たな年に、決意も固く、人生を開くつもりだったのに、ここにきて、何だか閉じこもる心になって逡巡する人が多い。充分な自己対話もしてきた筈なのに、絶不調の波がきて、どうにも出来ない程に心が閉塞しているのである。世間では、これを五月病などと言う。
しかしながら、物事は全て原因があって、結果を作るのである。だから、この閉塞感は一体何処から来るのかを知るべきである。
自らの予定行動が、いかほどの心の基盤があったものか?
不確かな想念のまま、成り行き任せにしていないか?
取り巻く情況に対する視座が伴っているのか?
希望の方向性に確かな根拠が確立しているのか?
こうした自己確認のプロセスを経て、なお意味不明の閉塞を感じるならば、それは、生体リズムの調整のための、自然が与えた休止期間であり、より一層の飛躍発展を期しての準備期である。今後に備えてのさらなる熟考を持てば良いのである。或いは、身体バランスの保持に努める時である。
もし、自己診断をして、方向付けに誤りがあるなら、この閉塞感を思考と行動の基本軸の曖昧さからくる必然的帰結として、未来ビジョンへの再構築のタイムテーブルにしなければならない。意識構造の掘り起こしをして、想定された結果への確かな因果律を創り直さなければならない。
明日を創るのは、紛れもなく自らの思念であり、心に描く絵なのであるから、閉ざされた空間からの脱出を図る事が大事である。病んでいると自覚する事で、苦悩する情況を強いるのは、自己逃避の詐術になっている事が大半である。
梅雨を迎える頃、苦悩の涙雨にするのか、灼熱の夏にそなえての滋養補給の雨とするのかで、以後の運気も達成領域も枝分かれするのである。
このまま病んだ情況を続けるのか、辛くとも自分の心を内観して、組み立てなおすのか。季節の分かれ目であると同時に運気の昇降の分かれ目である事を知って欲しい。
悩める人々に申し上げます。
運気の狭間は、心が試される時である。負けないで、しっかり自分を創って欲しい。