動いてみてこその運気
何も心を捉えるものが無い。ただ日々を無為に過ごす。いたずらに時が流れていく。淡々と、平穏と言えばその通りだがまるで捉え所が無い。
久々においでになった三十才、女性のお客様。「もう傷つきたくないから・・・」過去の恋愛のトラウマなのだろう。自分を理解し生かしてくれる相手がこれから現れるなんてどうしても思えない。古傷を背負ったまま、縮み込んでいるのである。仕事も生きがいにはなっていない。生きるテーマの喪失である。希望を失っているのだが、本人にその自覚も無い。
生きていれば、傷つく事もある。しかし喜びもある。動いていれば、いろんなものに出会う。出会ったものから心が刺激を受けて新たな想いが創られていく。
そんな話をしたのだが、反応は、今ひとつ。感情が動かないのである。感性を鈍化させる事で自己防衛を果たしているのである。無感動の心理構造は傷も感知されないからであろう。普通に生活しながらも、心は引きこもりを起こしているのである。こんな情況にある人たちが潜在的にはかなりの数にのぼると思われる。愛の不毛概念に取り付かれた、悲しい病いである。
身体機能も低下して、あたかもプチ更年期かといった情態である。運気が低迷しているのだが、低迷の原因が心にある事が理解できぬ程、体も疲弊しているのである。
顔色も冴えない。血の濃度にも問題がある。こんな情況ではいくら心を作り直せと言っても、まるで受け付けないのである。頭も身の内であり、思考を操る脳神経系統がフリーズしているのである。愛を感知する扁桃体も働かないのである。
色心不二。すなわち心と身体(色)は一体不離であり、心を病むと身体の機能も不全となる。両面の修復が大事になってくるのである。程よい運動と食生活の改善、朝日に浴びる事。前向きになれる身体機能の回復とポジティブな思考訓練が必要なのである。
吉凶動より生ず。動いて初めて運気が発動するのである。体は心の入れ物、器である。思い切り動ける心と体を創る事で人生を創造することが叶うのである。
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