観相学大家・水野南北著(康秀編)
眼について。 眼の相で心の清濁、人生の苦楽を見る。
眼がきびしい人は心も又きびしい。
眼に勇気がある人は心にも勇気がある。
眼が愚かしく見える人は心も愚かである。
眼が濁っている人は心に辛労がある。
眼が落ち着かずよく動く人は当分心が定まらない。
家が定まらないか、或いは配偶者を定める事が出来ない。
まばたきを多くする人は心がいらつき根気に欠ける。
家を乱し対人関係も乱す人である。臆病だが、才はある人でもある。
黒目の部分が茶色っぽく、俗にいう「猿の眼」のような人は、
高慢で我意が強く、情も薄くて人に施す事を知らない。
人が倒れても気に留めることがない。しかし、自分の事には熱心。
仕事もよくこなし向上心も人一倍強いものである。
猿は、物を食べる時は、貪り食う性質である。他者に施す余裕など
無く一心不乱に喰らいつく。又、四足の動物は日夜駆け回り食物を
求めるのを自分の仕事にしている。したがって、猿眼の人は自分の
職には心を打ち込みよく働く人となるのである。
眼が深く窪んでいる人は性急な性格で善にも悪にも強い。
親の家を継がず一人奮闘して身を立てる。
精力盛んで才能もある。涙もろい人でもある。
体質は、腎気が弱い。そのため心が苛つく事になる。
腎気が強い人は眼の肉付きもよく豊かである。腎気が弱いと
眼の肉付きが薄くなり、深く落ち込むのである。腎気が弱いと
結果おのずと肝気が逆立つ事になり、そのため心が苛立つのである。
眼が大きく飛び出たような人は、家を乱し配偶者との縁が変わる。
根気が弱く、子の縁が薄い。又親の家を継がない。
眼が少し出ていて黒目の動きが多く、表面に光を放つ人。
この人は必ず狂気となる。神経不安から錯乱する事となり
妄想的になる。又自分で自分を苦しめる心理傾向である。
白目の部分がほこりをかぶったように曇っている人。
この人は過剰の荷を背負った痩せ馬のようで、苦労が多く
人生が思い通りにいかず物事が滞りがちである。
眼は一身の日月である。天が曇る時は人の気分もおのずと曇る。
したがって眼が曇るのはその一身が曇るに等しい。
故に眼に曇りがあるのは苦労が多いというのである。
眼に活気がなく少し出ているようで清らかに見えるが、よく見れば
濁っているようでもあり、光っているようでもあるそんな眼の人。
視力に問題が発生して盲人となる可能性が高い。
瞳に煙のような曇りのある人。
近いうちに病気になるか、或いは大きな辛労が訪れるしるしである。
眼の中縦横に黒目を動かす癖の人は盗心がある。猫が人を窺う目つき
である。盗心でなければ、人を欺く嘘つきである。
しかし、鋭さが無ければただの小心の人なので間違ってはいけない。
相対する人が眼を見ようとする時、臆せずに大きく眼を開く人。
この人は望みの大きな人で意思力も強い。しかし行動が激しく
家を乱す事もあるので波乱含みの人生となりやすい。
気力が充実している時には物怖じしないものである。
したがって見詰められても臆せず眼を開く。気力が充満すれば、
おのずと願いや望み事が大きくなるものである。
相対する人が眼を見ようとする時、おどおどと眼を伏せ眼を開こう
としない人。気が小さくて少しの事にも驚き心が萎縮する人である。 根気も乏しく人生の達成領域も狭い事となる。
相対する人が眼を見ようとする時、臆せず眼を開くが、その時黒目が
下になる人。物事を人に明かさず自分の胸に包む人である。自分の
心を人に知られると、特に女性に多いが心が弱いため気兼ねをする
事がある。眼は心である。故に黒目を下にするのは、その心を隠す
ようなものである。したがって、万事人に明かさず胸に包むという。
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