幸せの処方箋

 池の底から月を見上げるように
 幸せを遠くから見ているだけの君
 笑顔を失い、頬に影ができた君は
 歩いてきた道のどこかに
 幸せの種を落としたのかもしれない

 獲物を探す狩人のように
 険しい目を彷徨わせている君
 余裕も無く眉間に皺を寄せる君は
 きっとまだ歩き足りないのだ
 幸せへの道
 それはずっと
 先にあるのかもしれない

 暗いオーラを身にまとっていたら
 誰も寄ってはこない
 誰も気づいてくれない
 幸せだって逃げて行ってしまう

 誰にでも通用する
 幸せの処方箋なんて無い
 パソコンのキーを叩いたら
 幸せの処方箋が出てくるなんて
 そんな幻想をいつまで
 描いてみてたって
 幸せは遠のくばかり

 君は歩いて来た道に
 幾つもあった岐路のどこかで
 道を間違えたのかもしれない
 気づかずに遠回りの道を
 選んでしまったのかもしれない

 歩いて来た足跡をたどれば
 真珠色に輝く幸せの処方箋が
 きっと見つかる

 焦らないで、ふと振り返り
 心に翼を羽ばたかせることが
 思い描いた幸せへの近道だと
 君にもきっと解る日が来るだろう
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湖水

 
 クリスタルのように
 磨かれた水晶のように
 
 春は新緑の華やぎを映し
 夏は陽のきらめきを反射し
 秋は紅葉の一枚一枚を受け止め
 冬には淵まで積もる雪に染まる

 そしてまた春が来て
 雪解けの水が溶け込んでいく
 そんな透き通った
 湖の水だったのに・・・

 住み着く生き物たちが
 自由に動き回り
 水草たちが心地よさそうに
 揺らぎ戯れていた
 そんな青緑の湖水だったのに

 いつしか湖底に泥が滞積し
 倒木が横たわり
 生き物たちが苦しそうに喘ぐ
 水草は色を変え
 枯葉や転げ落ちた塵埃にまみれ
 黄褐色に濁った湖水は
 もう季節を映すこともない

 気づかぬうちに
 時が流れるうちに
 汚し濁らせてしまった
 もう還らない湖の澄んだ水
 
 産声を上げたとき
 確かに透き通った湖だった
 汚れない心底湖だった
 いつしか年を経るごとに
 汚濁の色に変え
 弾む生き物たちを
 弱らせたのはあなた

 あの澄んだ水に戻すのは・・・
 心を素にしたあなたしかいない


 泥をすくいゴミを拾い集め
 元の湖水に戻せるのは
 あなたしかいない

 

いつまでも立ち止まっていないで

 君は何故そんな顔をしているんだろう
 何処へ行こうか迷ってるんだろうか
 慣れない場所にきて戸惑っているのだろうか
 それとも何をしていいのか解らないんだろうか
 立ち止まったまま一歩も踏み出せないで

 街はまだ明るいのに
 行き交う人波はざわめいているのに
 まるで何も見えない何も聞こえない
 そんな風に君は目を見開いたまま
 不安そうな顔で立ちすくんでいる

 誰かが背中をポンと叩いてくれたら
 君は笑顔で振り向くのだろうか
 誰かが手を引いてくれたなら
 君はそっと付いていくのだろうか
 それとも
 それとも誰かをただ待っているだけなのか

 一歩を踏み出さないから
 行き先がわからないのだと
 胸に明かりを灯さないから
 辺りがよく見えないんだと
 君は思ったことはないのだろうか

 青い鳥は君の手の中にいるのに
 その目には遠い空を飛んでいるとしか
 映らないのだろうか
 手の中の青い鳥に話しかけたら
 行き先を教えてくれるかもしれないのに
 君はまだ呆然と
 洞穴のような目をして立っている

 いつまでも立ち尽くして
 いつまでも
 いつまでも

扉を開けて、心の窓を開いて

 カーテンを開けて
 窓を開けて
 寒いなんて言わないで
 ほんの少しだけ勇気を持とう
 冷たい風が身を締めてくれるから
 暖かな陽射しが手のひらに
 温もりを届けてくれるから

 厚いカーテンを閉めて
 窓を閉め切って
 閉じこもっていたら
 苦悩の霧がたちこめるだけ

 こんな顔で出たくない
 そんなこと言わないで
 誰も見てはいないから
 街の人ごみはいつでも
 孤独と無関心の坩堝
 人形を見るようにしか
 目を向けないのだから

 周りの人たちがあれこれ言う
 そんなこと気にせずに
 みんな勝手なことを言う
 ただそれだけ
 あなたの人生が
 左右されるわけではないし
 人の感慨を知る
 良い機会と思えばいい
 耳障りな声も
 気にならなくなる

 扉を開けて
 心の窓を開いて
 お気に入りの服を着て
 颯爽と出かけよう
 俯かないで
 胸を張って
 歩いていればいい
 誰もあなたが悩んでいるなんて
 苦しいなんて解らない

 街並みの風に吹かれていたら
 いつかきっと
 きっと笑顔で語り合える
 そんな出会いが
 かならずあるから

 あなたを待っている人に
 かならず
 めぐり合えるから
 

日曜日は芝居見物

 「獅子を飼う」-利休と秀吉ー池袋サンシャイン劇場

 山崎正和作・栗山民也演出
 秀吉(坂東三津五郎)・利休(平幹二朗)・ねね(平淑恵)
 秀長(高橋長英)他

 迫り出し舞台。秀吉と利休の求め合い背き合う心理葛藤劇。最後は利休が死を賭して闘う場面となり、熾烈な両者の心理追い込みの言葉合戦となる。演者それぞれが闘う台詞バトルであり、皆、長台詞を渾身こめて吐き出す壮絶な舞台であった。

秀吉と利休の闘いならず、平幹と坂東との芸戦である。両雄の対峙する、激しい心の刃を突きつけられる迫真の舞台で、もうヘロヘロになってしまった。なんと席が一番前のど真ん中となり、平幹が、坂東が、ほんの1メートルちょっと先でぎらつく眼で、長台詞を吐き出す。こちらは唾を掛けられながら聞き入る羽目となる。いや、この情況は一体なんだ?というやばい観劇であった。もう少し俯瞰できる席なら良かったと思えるほどの緊迫のシーンの連続。

 日本の時代物ながら、舞台構成はギリシャ悲劇風。新劇の王道を行く演出である。舞台装置もほとんど無く、演者の動きと台詞回しで引っ張っていく。久々に演劇の究極の醍醐味の世界に取り囲まれ、逃げ出す訳にもいかぬ舞台地獄であった。アハハ

自己認識と運命

 自分自身が何処まで解っているか?

 様々な人生への希望があるが、その希望や願望が自らの深い思いから発しているのか、或いは単なる思いつきの願い事なのかで、達成領域が定まってくる。さらに、願う事が自分の本来持っている資質や天分、許容半径にあるかどうかも問題となる。

 よくあるケースは、願う展望自体を充分知らない事である。あんな職業、こんな仕事とこれからの社会参加の方向付けをする時に、当てずっぽうで選ぶ人が多いものである。

 ある青年が問う。
 「僕は野球が大好きで、ほかにもサッカーとか、いろいろスポーツには、詳しいんです。それに、書く事も好きだから、将来はスポーツライターになろうと思うんです。小説家もいいですね」とか・・・

 「私は、イラストを書くのが好きだから、やっぱりデザイン関係かな。漫画家になってもいいです。それに、ADっていうのもかっこいいですよね」などなど。ADとは、アシスタントディレクターの事を言ってるのだろう。

 又、ある青年は、「僕は神社に行くと心が洗われるんです。いつも近所の八幡様に行って、すがすがしい気持ちになります。だから、将来は絶対神主になりたいです」と真顔で言う。

 ヘアーメイク、デザイナー、イラストレーター、ライター、などなど横文字の仕事は響きが良く、希望職種になり易いものだが、実の所、中身について把握している事が滅多に無い。ADもしかり、実際は製作現場の下働きで雑用専門の小間使いなのだが、字面がちょっとかっこよく感じるのだろう。

 職業については、相応の知識を広げ、現実のあり様を検索して選ぶべきである。例えば、建築の仕事も設計から、施工、内装、付帯設備工事に至るまで様々な工程別の職種があるわけで、それぞれに細分化したジャンルがあるのである。デザインの仕事も多種多様なメニューがあり、専門知識も方向性によって大きく枝分かれするのである。

 希望があればまだしも上等であり、何をどうしたいのかもサッパリという人たちも多い。「面倒だから占いで決めちまえ!」という若者もいる。今の時代は、生きるための糧を得る事で職業選択をしなくて済む恵まれた環境にあり、その分、イメージ的に将来展望を作るのである。

 自分がどう生きたいのか、どうなりたいのか、どんな存在領域が欲しいのか、といった方向付けをした上で、選ぶ人生の道筋に職業選択を置くのが、無駄の無い方法である。と同時にその仕事の中身を調査する事である。社会的な立場、存在理由がその人の人生の基盤となり、幸不幸の分かれ道にもなるからである。

 「私の願いは幸せになることでーす」と言った所で、闇雲に幸せになれる話も無いのだから、まずは、きちんと社会参加の仕方を考えることである。

 ある女性が、医者や医療関係者と結婚する事を希望してナースになり、見事医者を落とした成功物語を語ってくれたが、実にあっぱれである。希望成就の綿密な人生計画である。アハハ

思考を操るもの

 色心不二・心と体は一体不離

 思考や感情がもつれる時には、平常の神経レベルが損なわれている事を必ず確認すべきである。運気レベルもあるが、体に変調をきたしている場合には、思考も混濁したり、物事への充分な把握が出来ないカオス状態になっているからである。心が暗くなったり、取り巻く情況に興味が無くなったり、感情が奇妙な渦巻き現象を見せる時には、まずは、身体機能の完不全を計るべきである。

 たとえば更年期性の鬱屈した心理構造も、運気レベルや人生曲線の基盤変化による宿命構造と理解し始めると、なお一層苦悩が深まり、究極は絶望感に打ちひしがれる事となる。無論更年期こそは、人生上の変化プロセスであり、運命構造の経過プログラムには違いない。しかし、身体機能の低下による思考混濁については、打つ手もあるわけで、日常の健康管理や身体機能低下の把握と対症療法の検索に努めることが大事である。食物の摂取、運動量、睡眠情況、疲労度のチェックをする事で自分の肉体細胞のあり様が解れば、その対処法も次第に見えてくるはずである。

 頭も身の内なのであって、思考も肉体から離れることはないのである。肉体の衰微は、心のほころびとなり、思考が暗やんで最後は悲痛な自己否定、人生の絶命感につながっていくのである。

 最近は若年性の更年期も叫ばれ、食生活や日々の不健康な生活から、著しい身体機能低下の人口が増加傾向にあり、その人生観も同様に暗いものである。又、人生を投げてしまう不毛な境涯に閉じこもり、生きながら死する若者達も増えている。

 心も体も共に健康でなければ、明日の希望も潰えてしまうのである。病んだ時こそ、写し出す心象風景に対しては自ら疑問符を持つことが必要であり、心もさることながら身体関係への改善アプローチが必要なのである。

 身体機能が充分に果たされているか? 体が機能不全に陥るような日常にいないかどうか? 意味不明のマイナス感情にある時には、一度自分の生活状況を振り返ってみる事である。不摂生こそが、暗い未来ビジョンにつながる事を知るべきである。もし更年期ならば、相応に覚悟して身体管理に当たるべきである。マイナス感情に拘泥して落胆する事だけは避けていくべきである。

 かつて、私も男にも訪れる更年期を迎え、ひどく落胆したり、人嫌いになったり、明日への希望が潰えてしまって、茫然自失の境涯に陥った事がある。全てが空しいと感じ、何も出来ない自分を恥じ、死にたくもなったものである。考えれば、これも更年期に差し掛かった肉体年齢から来る衰微の兆候であったのである。心もほころんでしまったのである。今は次の時代状況を認識できるレベルに到着して、安心立命の境地となり、美老庵の庵主として、美しい老境に入る覚悟が出来た事を実感しているのである。
 
 「色心不二」色とは現象界であり、肉体を表す。すなわち、心と体は一体不離なのである。どちらも大事にしていかなければならない。

占断は的を絞って

 占い過ぎは実態がぼやけ、思考の迷路に入る

 再三すれば、易は乱る。同じ質問を何度も繰り返す人がいる。自分が納得するまで問い続けるのである。「易占は、さながら暗闇にて象を触るが如し」でもあり、そのために駄目押しとばかり、ある事象について、あらゆる角度から、見詰めようとするのである。しかし、告げられる卦象が次々に変わってゆくと、次第に象がマンモスになったり恐竜になったりゴリラになってしまうのである。混迷の極地に陥る場面である。たとえば、他者の心象風景の追跡となると、易で知る世界は、ひとつの卦ですら、大変な推理情況を強いられるのである。それを何度もやっては、相手の心を掴むどころか、ますます悩み五里霧中を彷徨うことになり、混迷の果て神経病みになってしまうのである。相手の心が見えない切羽詰った恋愛相談などが、この例にすっぽり当てはまるものである。

 これは、占いフリークの人も同じであり、自分の悩みを四方八方に問いかけ占い行脚となるのである。あっちでこう言われこっちでああ言われ、しまいに訳が解らなくなって、さらなる放浪の旅が始まるのである。いずれも自分の思考の座標軸が無いためのドラマなのである。物事の判断基準をまずは自らが把握して、問いかけるようにしないと支離滅裂な思考回路を創るために奔走する愚を演じることとなる。

 どんな事柄も考え分析する際には、思考の序列があり、整合性を求めつつ推論を積み重ねていって、確かな結論を出すものである。占いも本来は様々な事象の解析のために、統計学も含めての推理の術なのである。予言といった、摩訶不思議な論述に惑わされて神秘学だなどと、過信する所から話がややこしくなってくるのであろう。

命理学といわれる四柱推命、占星術、気学九星、大殺界でお馴染みの六星占術などなど。生年月日による運勢判断というのは、グラフ化された運勢曲線があって、読み取りやすい解析術であるが、これの盲点は一体どれだけの人間が該当するかという事である。四柱推命は、生年月日に生時をつけて精緻を極めた命理学云々と喧伝されるのだが、これも、人口比率では、世界規模では同じ四柱の命式の人が、現在の出生率から計算して、軽く五千人を超えてしまうのである。同じ運命を辿る筈が無いのは自明の理である。この命理学をもって、怖いほど当たる運命学術とか言ってるのである。

 占いのベースとして、人物判断の導入部に命理学があって、そこから、現実のその人間の人生模様の解析手順として、推理が始まっていくものである。したがって、命理が最初にあって、運命が方向付けられるというのは、全くの嘘である。まず人ありきである。

 したがって占断結果が現実との合致項目が見えない時には、やはり疑ってかかるべきであり、鵜呑みにして行動決定などは絶対にしてはならないと思うのである。世間の常識からはなはだしく逸脱した占断が結構世に蔓延っているから要注意である。問う側も問われる側も不毛な占い談義はしてはならないと思う次第である。占いで人生を狂わせている人が大勢居ることを痛感するものである。

日曜は芝居見物

 東京セレソンDX公演・シアターVアカサカ
 
 オムニバス・ショートライブ企画『アラカルト』・・・『福袋』

 あまり期待せずに出向いたのだが、なかなか多彩な舞台構成でいろんな出し物を見せられ満喫しました。ショートコントあり、漫才あり、小芝居もあって、飽きさせない演出でありました。

 夏の風鈴三部作公演ですっかりファンになった劇団です。
 詳しくは http://www.ts-dx.com

次回公演は5/9~21 中野ザ・ポケットにて「タイトル未定」

占い相談は真剣勝負

 クライアントと対座して思う事

 問われて占断する際に、事の吉凶成否もさることながら、その質問の必然性や整合性が問題となる。もっと平たく言えば、問う側の真剣さである。何となく聞いてみましたなんていう場合は、占者も何となく答えてしまうものである。ふと思いついて聞く事が重要なテーマとは思えず安易に即答する訳である。この安易さが意外な落とし穴になる事がある。占う内容は、事の大小を問わず、人生の在り様にリンクしていくのであるから、すべて心して問いかけるべきである。

 真剣に問われる時には事を分析し推理しながら、占者も読み落としがないように注意を払うものであり、誠意を持って答えるのである。
 実は本音では真剣な願望や志しなのに、軽い聞き方をして、駄目と言われて落ち込む人が多いのが現実である。恥ずかしいと思ったり、不遜な願いだと思ったりする事で人生の方向付けに関する未来予想が、安易な決着のつけられ方をされ、願いそのものがスポイルされる場面となってしまうのである。

 その意味で是非、聞き上手になってほしいと思うのである。たとえば、将来のビジョンを問う時には、難しいという答えになったとしても、何が問題で駄目になるのか、どう対処すれば良いのか、ぐらいの差し戻しの質問を是非して貰いたいものである。そうした対話の中から新たな展望が、導かれてくるからである。自分の人生は自分で創っていくものであり、占者は、その方向性に対して補佐助言を与えるのが使命であり、ジャッジメントをする筋合いなどないのである。

 駄目なら駄目ようを問いただすべきであり、対応策まで聞く執拗さがあって、はじめて占断に委ねながら達成領域の可能性を模索するスタンスになってゆくのである。占い師が全てを知っている筈もなく、事の成否の予言がズバリ当たる確証もないのである。言われるままに、行動選択をしてしまったら、ただの操り人形でしかないのであり、自分の人生を他者に預けてしまう愚を演じる事となる。

 自分の心の中に明日のすべてがあり、その心は実は脆いものであり、無作為に生きていると知らず他者の心理的介入を呼び、操られていくことを知るべきである。まして運命相談の現場は、相当に究極の心理誘導の情況となるのである。「意向を定める」事が大事なのは、他者の意見に振り回されないためであり、確固たる自分を創るためである。

 質問の連続を嫌う占術家が多いのも事実である。問い返されると占断結果の整合性が怪しくなってしまう未熟者も多く紛れ込んでいるからである。少し怪しくなってきて、これ以上聞かれたくない場面で「あんた、そんな考えじゃ地獄に落ちるよ!」なんて、威嚇行動にでる術家もいるから恐ろしい。そんな場面は、「こっちから願い下げだ!」という毅然たる気持ちになってほしいものである。

 いつの世も占いは、人の心象に入りこんで人生を操るものである。操られる事無く有効利用するためには、日常の自己対話が必要になってくるのである。まずは自分ありきである。占術家と対座する時には、是非真剣勝負をして頂きたいものである。

謹賀新年

 明けましておめでとうございます。

 年賀状を下さった皆様、有難うございます。今年もよろしく。

 一年の始まり。気持ちも新たに、明日のビジョンを一緒に創っていきましょう。どんな人に出会い、どんな語らいができるのか楽しみです。

 ブログのコメントも是非お願いいたします。
プロフィール

鎌田康秀

  • Author:鎌田康秀

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    鎌田康秀相談室


    吉祥寺で生まれる。幼少の頃、神戸で過ごす。
    学生時代は演劇青年(不条理系の芝居}。今でも芝居好きで、観劇が趣味{ジャンルは問わず)。占術家以外では一時期、クラフトデザインの仕事に就いた事がある。少し絵心もあり。犬、猫、ウサギが大好き。でも一番好きなのが、やはり人間。思いを共有できた瞬間が最高。語り合う中で未来ビジョンが出来た時が最高。

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