占いがストーカー行為になる
- 2005/11/28(Mon) -
 占い探偵局

 逢えない相手を思い、気持ちを確認したり、恋の展望を推理するのは、ごく当たり前の恋愛相談である。しかし話が深まるうちに、相手の動静を窺うようになり、今、相手が何をして、何を考えているのかの探索が始まり、いつしか何処に居て、誰と一緒でどんな場面なのかまでを突き詰めて考えるようになる。こんな場合、形を変えたストーカー行為に加担したことになってしまうのである。

 易を立て、実情を推理しながら、いつしか相手の行動探索に入るのであるが、これこそ、覗き見の極地となっているのである。相手を知りたい、確かめたい、身近に感じたいクライアントの切羽詰った思いに答えるべく、答えているのだが、実情はかなり浅ましい行為に陥っているのである。まさに不毛の占いである。

 代理恋愛の実態について、以前書いたことがあるが、逢えない相手を、想念世界で呼びこんで、心情を告げてみたり、言霊を現してみたり、さながら相手が此処にいるようなリアリティーを醸すことでクライアントの擬似対話を達成するのであるが、ストーカー行為は、さらに進んで奇矯な心理構造にまで、付き合う場面なのである。

 現在、そんなレベルに突入したクライアントと向き合い、かなりヤバイ状況になってしまったのである。もはや、占いの領域を逸脱した場面であり、これ以上は不毛の相談に付き合ってはならないと判断し、中断したのである。「今、相手は、飯でも食って、これから風呂にでも入ろうか考えてるんじゃないの。ひょっとしたら、ウンコでもしようかなんて思ってるかも」結局のところ、そんな馬鹿馬鹿しい推理をわざとして、これこそ不毛であることを納得させたのである。

 占い師の扱う領域が際限なくエスカレートするのは、とにかく聞かれたことには答えようとする占術家の阿呆な同情心と、何でも解るはずと思うクライアントの思い込みの産物である。相談には、礼節が互いに必要である。慣れ親しむにしたがって、品性を問われるような場面まで演じることが起こるのだが、知らず人倫を踏み越えた愚行を起こさぬよう身を律していかなければならない。

 本当に私もアンポンタン易者であります。反省!
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人の運を侵す人
- 2005/11/25(Fri) -
 関わる人々がみな揃って不幸な運命を辿る。

 夫の早世に遭う人の事を後家相という。一度や二度ならず、何度結婚しても夫に先立たれる不幸な人がいる。果たして、その人のせいで、相手が早世するのか? 或いは、ある人間と関わる事で運気が下降してひどい目に遭う状況もある。周囲はあんな人間と関わったから、不幸な目に遭うんだと、排斥行動に出る場面を見ることがある。対座する人間の運を上げる人、下げる人とさまざまだが、この件について、人倫上の問題が出る事を知るべきである。

 人はそれぞれが固有の運命をもって生きているのである。誰かと関わって運が上がった、落ちたという考え方をする事が世間では多いが、身に起こる事は、必ず自分自身の心や想念に因果律を持つものである。もし他者の介入を見て運が操られるのだと考えると、人生の主人公がいなくなってしまうことになる。運が落ちたのを、関わったある人間のせいにすると、その当該人物こそはいい迷惑である。

 後家相の人というのは、早世する運の持ち主と縁を持つだけのことであって、相手を取り殺す刃(やいば)を持っている訳じゃないのである。その人自身が極めて不幸な人生行路を歩く人であり、早世した人間が恨む筋合いでは決してないのである。

 銀座のお水の女性がお客にいるのだが、この女性と関係を持った男達は、ほとんどが仕事で失敗したり、左遷されたり失脚の憂き目に遭うのである。いわゆる貧乏なんとかという奴である。これを、どう解釈するか?である。すなわち、落ち目に差し掛かった運気で、たまたまこの女性と関係すると解釈すべきであり、実はこの女性と関わる以前に運気下降の局面にいるだけのことである。むしろ気の毒なのは、このお水ちゃんの方であろう。お客の運が落ちれば、貰いもないのだから。残念!

 まったく逆に福なんとかとか、上げまんとかという女性もある。関わった人々が皆、運気向上して、羽振りよくなっていくのだから本人も感謝され、大いに満足であろう。これまた、当たりが良いだけの話である。

 周囲を明るくする人、関わった人たちに福をもたらす人間がいる。
 周囲を暗くする人、関わる人たちに不幸な種を撒く人間がいる。
 しかし、いずれも関わる側の想念で現象は決まるのである。

 人の人生を操る悪魔もなければ、大天使もない。あると思うのは、自分の運気の上がり下がりに、他者依存の心が見せる欺瞞なのである。

 運が落ちたのは、あいつのせいだ!
 運が上がったのは、あの方のおかげ!
 いずれもアンポンタンである。運はてめえで創り、てめえで上げていくものなのだ。運が下がったからといって、誰かのせいにしちゃあいけないのだ。


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高橋尚子の復活
- 2005/11/21(Mon) -
 夢の持続、修練、そして復活。

 これ以上はないという輝かしい栄光から、急転直下の挫折、そして長い暗闇、そこで自己の再構築を誓い、たゆまざる自己練磨を課し、さらに、あえて孤独を選び自己復権のドラマを果たした彼女の人生に心からの拍手を贈る。

 断崖絶壁から、再び自分を取り戻した彼女の想念こそが素晴らしい。
挫折から立ち直る決意、自分自身をどこまで信じきれるか?
 信じた結果の再挑戦。師匠との決別。これ以上の困難な道は無い所で自分と向き合った心魂。深い感動を人々に与えたのは、まさに自分の夢を信じ続け、決して放棄しなかった運命への情熱である。心の中心座標にブレがなかった者の勝利である。また、出会った新たなメンバーもアナザーヒーローである。一人では達成できない領域であり、人の輪も見事に創れたのである。
 
 「夢を持てば、また必ず光が見えるんだ」夢は持ち続けていこう。暗闇もいつかは明ける。彼女の言葉に嘘は無い。見事な自己実現のドラマを見せてくれた。しかし夢ばかりでなく、夢の実現の裏づけに、限りない自己練磨と努力を惜しまない執念の持続を実証したのである。思考と行動の基本軸の見事な集大成である。
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運のつかみ方は千差万別
- 2005/11/19(Sat) -
 人生の成功に定説は無い

 自我の発露は人それぞれである。人より先んじて動かないと満足しない人もあれば、一歩譲って後乗りしか出来ない人もある。もじもじして人の動きを伺うばかりの人もある。吉凶は動より生じるのだが、この動き方こそが、個性の違いであらゆる形を取るものである。

 自分を知り、自分の形を作るところから始める事が大事である。人の様を見て、自分が立ち遅れて感じたり自己嫌悪に陥る場面が起こるが、自分の個性から離れた行動原理は、かえって自分を傷つけるだけであることを知るべきである。

 運のつかみ方には公式など無く、自分の描く未来ビジョンの達成のための自分自身の方向付けを模索すべきであり、決して他者の行動論理に振り回される筋合いはない。何処までいっても自分の人生は自分が創るのであって、他者の意見や評価付けは参考にすべきだが、鵜呑みにしてはならない。

 自分を知ることなく成功論に振り回される人が多いが、自己管理も出来ないレベルでは、絵に描いた餅を食うようなもので、こけるのは自明の理である。挫折は必要な人生経験であるが、他者の論理に従って行動した結果の失敗で、自己崩壊を遂げる必要などないのである。

 思考と行動の基本軸を創る作業において大事なことは、自らの内なる特性、「自分が何者であるのかを確認する」ことを忘れてはならないのである。自分とはかけ離れた未来ビジョンを立てる。青春の特権でもあるが、挫折の立ち直りも出来ぬまま運命を放棄する状況になる人が圧倒的に多いのは、自分との対話を怠った結果であることがほとんどである。

 生きることは自分を創ることであると同時に、自分を知ることである。知った上でさらなる個性的な自分創りをしていけば良いのである。
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人生のハードル
- 2005/11/16(Wed) -
 心の中心座標・現象を見詰める視座

 意識を凝縮して事に当たる癖を身につけていると、身に起こる出来事の前ぶれやら、その出来事の全体像がうっすらと感知できるものである。突如起こる事も必ず何らかの必然性を持っているものである。この読み取り如何が人生の禍福を分けるポイントである。

 心を投影するものが、降りかかる現象となって様々な人生上の場面展開を作っていくのである。その事を深く理解すれば、決してたじろぐこともないはずである。対処不能の現象に見舞われる場面、心が乱れ思考が散じ支離滅裂な行動となって、にっちもさっちもいかない。茫然自失の状況というのが、しばしば身に起こるが、こんな状況も後になってみれば、こんな事か、あんな事かという具合に絵解きができるものである。心象の必然が見えてくるものである。

 生きた分だけ解り、解った分だけ生きるのが、人生である。対処不能の場面は、自分自身の思考と行動の基本軸の揺らぎなのであるが、こんな場面こそが、自らの心の中心座標の再構築のドラマであると理解すべきである。混沌としたまま対処不能の自分を放置する人は、必ず人生の追試を受ける事となって、再びたじろぐのである。乗り越えるべき人生のハードルが次々に立ちはだかるのは、現象から学ぶ自己改革の必然を天が与えたものであり、試練と呼ぶべきものである。

 いつもいつも人は試されながら生きていくのである。また、運の強弱というのは、その人固有の試練克服能力とリンクしていているのである。乗り越えるか、落ちこぼれるか、獲得するか、放棄するか、成就するか、諦めるか、達成するか、挫折するか、様々な選択肢をどう捉えるのかなのである。力があれば勝つ。力が無ければ負ける。しかし、負けて一切を放棄するか、再挑戦するかは、その人次第である。

 成功者というのは、もちろん運の強い人である。しかし、その人は運だけでなく、事を成就させる知恵や技術や才覚を持っていると同時に、夢を持ち続ける執念と持続的な努力研鑽を忘れない人なのである。知恵は過去の経験の記憶を深く正しく整序しうる能力である。失敗も知恵を湧き起こす糧である。直感力というのも経験的認識が源泉となって、発動するものである。

 「想念を強くすれば願望が達成される。全ては思いありきである」
 これは嘘である。思い、決意しただけで願望成就できれば、巷には成功者が溢れかえる筈である。思いから始まり、達成領域を果たすための具体的な方策を作り、綿密なプログラムを実行して、やっと成否が決まる地点に立つのである。そこで失敗も充分あり得るのである。

 人生は不可解なものであるが、一つ一つ認識をしながら経験を蓄積しながら、解析分野を広げていく事である。解るたびに人生の意味も変容してさらなる探索が始まるのである。人生が豊かであるか貧しいかは、本人の意識構造に起因する。

 人生のハードルは、日常的レベルで起きている。意識を確かめ身に起こることをつぶさに観察するとき、超えるべきハードルが自覚されるのである。絶えず自分との対話を忘れないことである。自己変革のきっかけは些細な日常的事象にも隠れている事を知るべきである。心が変われば人生が変わるのである。運を操っているものの正体は実は自らの観念なのであるから。
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土曜日は愛弟子との会見
- 2005/11/14(Mon) -
 空庵の未空さん来る
 
 勉強会も含め楽しい時を過ごす。カウンセラーの仕事も占いもリンクする場面が多い。クライアントと対座して心を探索するのは、切り口は違っても同じ視座であることがいつも確認される。

 最近、突如パニック発作が起きて悩んでいらっしゃる。もうすでに克服して万全と思った矢先のことらしい。何故? 何故?

 必ず身に起こることには原因がある。外に向かう自分の有り様に深層の意識レベルからの拒否信号として、奇異な身体現象が起きるのがパニック発作である。語り合ううちに、実は気づかないふりをしつつ、不快な場面に遭遇している事実がはっきりしてきて、納得したようである。
 いやなものは、いやなのであって不快を感知した意識が自我の崩壊を回避するため発動する危険信号として、パニックを起こしているわけである。自己認識をいつも忘れてはいけない。自分の拒否する空間や対座する場面での嫌悪感情やらを、本当の自分がどう感知しているのかを、知るべきなのである。

 突如という発作レベルは、自己対話の欠落から来ているだけに過ぎない。不快な場面をはっきり不快と認識して、意識を正した時には発作は回避できる。知らぬ我慢は耐え難いが、自覚の我慢には、人は十分対応できるのである。いやなものと対決しつつ、気合が入り、その場面をやり過ごすことに成功するのである。何が一番いやなものか、どんな状況が自分にとって苦しいものなのかを、しっかり把握することが大事なのである。

 トラウマとリンクすることがほとんどであると定義されることが多い。したがって、逆にパニックを起こした場面から、自らの心の傷が確認されるものであると解釈されている。外敵は確かに怖い。他者からの迫害や圧迫に自我が崩壊する感覚を持ったときに、深いトラウマとなって心の奥底に蓄積されるのであろう。しかし、パニック障害の本質は明確な迫害や圧迫の意識がなくいつしか醸成された意味不明の感情の渦が、深く内向して蓄積されたものと言ったほうが適切であり、だからこそ突如意味不明に起こる。それだけに厄介で恐怖が伴う現象なのである。

 もっとも考えられる原因は、自分の許容半径に対する錯誤認識である。自分の受容しうる限界数値を知らないことで、人やものや身の回りの出来事を受け入れて、飽和状態であることも自覚しない人間が陥りやすい現象である。
 したがって、いい人と言われる人間が圧倒的に多いものである。嫌と言えない日本人とよく言われるが、さまざまな関係性の中で、自分の意識が嫌がることでも受容するようにしつけられている人ほど、パニック障害になりやすいものである。

 自分勝手な奴はパニック障害にはならないものである。自分意識を大事にする人も然りである。人でなしと言われる人にはストレスも少ない。だから私はパニック障害に無縁である。
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恋のトラウマ・悲しい愛の現場レポート
- 2005/11/09(Wed) -
 相手が変わっても同じ恋をする人

 恋の相手から受けた仕打ちが心の傷となって、意識の奥底に沈み込んでしまうと、たとえ相手が変わっても同じトラブルを巻き起こすものである。暴力に悩む人。相手の多情浮気に悩む人。性的和合に悩む人。などなど…。これまでに出会った人で、特異な愛情パターンが幾つかあったので、紹介してみる。

 夫が三人変わったが、三人とも、実母との近親相姦であったという女性。三回結婚したのであるが、選ぶ男がいずれも極度のマザコンであり、母親も又、異常な愛情を息子に注ぎ、性愛行動に走る人達であったという。何かの因縁でこうなってしまうのか? と苦しい悩みを打ち明けられたのである。まさに気の毒な結婚運である。

 命理的には、夫の星に力が無く再縁を繰り返す相であったが、問題は本人の気に入る男性のタイプがいずれも、優しく、ひ弱で、甘えん坊である事。自我も強く相手を思い道理に操りたい気持ちの表れであるが、マザコン気質の男が好みなのである。気質だけならいざ知らず、実体も又、実母と一心同体という男を見事に選んでしまうのである。そんな男達の放つ独特の匂いに、奇妙に惹かれてしまう嗅覚があるのだろう。

 そこで、相談は四人目の婚約者のことである。まさか、今度もそんな性癖では、困る訳なのだが、幸いその男性は母を亡くしており、近親相姦はあり得ない話である。しかし、やや女性的で柔和な人間で、或いは同性愛はないだろうか? という心配である。思わず絶句したものである。

 次は、相手の暴力に悩む女性。これまで付き合った男性達から、ことごとく暴力を振るわれ、半死半生の思いも数多いという。未だ独身であるが、結婚する勇気が持てない程、相手に恵まれないと涙ながらに訴えるのである。選ぶ男性は、本人の特殊事情もあり、それぞれ違ったタイプにしてきたそうである。交際相手はこれまでに四人だという。当初は皆、優しく思いやりのある愛情をくれるのだが、付き合ってふた月もする頃から、次第に相手が苛立ち始め、だんだん威嚇的になったり、そのうちに暴力を振るうようになるのだという。

 命理は、しっかりした構造であり、取り立てて問題が見えないのだが、話す内に、こちらの物言いが気に入らないのか、妙に食いさがる所があって、執拗な問いかけ方となり、ドンドン話が食い違っていくのである。理解力に乏しいのか、或いは、もっと深く知りたいのか、いずれにしても、かなりの苛立ちを感じてしまったのである。思わず「いい加減にしろよ!この馬鹿たれ」という感情になってしまったものである。

 この人に悪意は全くない。問いかける内容も別に特異なものでもない。ただひたむきにしつこいだけである。しかしこの態度を直さないと男は相当に穏和な人間でも苛立つだろうと思ったのである。私とて、しばらく付き合えば、ビンタの一発は差し上げる筈と確信したものである。トラウマもあるから、よけいに執拗に相手に絡む話法になってしまうのも原因になっていると思われるのだが、気の毒な人である。

 次は、付き合う相手の浮気に悩む男性の話。どんな女性と交際しても、必ず愛情的裏切りを受け、必ず三角、四角関係となり、煩悶葛藤の揚げ句に相手から捨てられる運の持ち主である。

 もう五人の女性から酷い目に合っているそうである。よほど引き留めるだけの魅力に欠けるのか、或いは気が良くて許してしまうのか?
 話してみれば、なかなかの美形男子であり、服装のセンスも良い。立居振舞いもすがすがしい人である。

 命理は、財星混雑して、女運がありすぎる運の人である。運命的には、かなり異性からもてる部類の人である。勿論かなりの女性と愛情交換のドラマがあるわけで、周りは羨ましく思う筈である。しかし、本人はそれこそ相手から裏切り行動を受けているので、苦しい情況にいるのである。何故、そんなことになってしまうのか? より詳しく分析するため、関わった女性達の命理を審察してみる事になる。

 果たして、その女性達は揃って、色情サインの強い艶っぽい星の持ち主である。結局やばい女が好みだという簡単な理屈なのである。おまけにこの男性は実はセックスよりは、共に語り合う事が好きなのだという。あまり絶倫ではないらしい。「そろそろ選ぶ女の質を変えた方がいいですよ」と指導した次第。だが、きっと又、同質の女性を選ぶだろうと思いつつ相談を終えたのである。 
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占いで全てを計る人
- 2005/11/08(Tue) -
 人生は自分のもの。占いは運の特性を解説するのみ。

 運の善し悪し、吉凶を占い世界で確かめるのは、効率の良い生き方であるには違いない。今、動いて良いのか、時期を待つべきか等々、運気の強弱によって行動指針を立てるのも良策であろう。しかし元より、運気の読み取りについては、その占法によっても、実はかなりの差異があることを認識すべきである。

 置かれた状況、その人固有の気力、念力、思考力、人生観、世界観によっても運気力が異なっており、行動指針においても、千差万別なのである。さらには、人は運だけで生きている訳じゃないのである。事の必然、人生の吉凶禍福は運気のなせる技と思う人が多いが、元より運そのものは自らが作り出しているものであって、決して天から降って来るものじゃない。全ては己の思念の結果で人生の色が決められていくものであって、運そのものがその人個人の所産なのである。運は思念や想念から導かれるものであり、まずは思いありきである。思いに付随して運が起こって来るというだけの話である。

 希望の無い人に運が宿る筈もなく、求める気持ちの無い人が何も得る事が無いのも自明の理である。

 この当たり前の人生の現実を知る事なく、占いで人生を創ろうとする人間が数多く居るのも事実。

 「此処は何処? あたしはだーれ?」そんな疑問に答えるべく、占いがあるように思う人は結構多いものである。

 何枚も名刺を繰り出して、「この中で私に素晴らしい運をくれる人を教えて下さい」とか、何人もの生年月日を告げ、「この中で私の結婚相手を言って下さい」とか、揚げ句は「何処に行ったら良い出会いがあるかしら? どんな服装で、どんな髪型でどんなアクセサリーが幸せになれるかしら? 運が良くなる食べ物は何? ところで私って何者?」

 自分を知らぬ者、運や人生を語るべからずであり、また、占いで教えられる人生行路など、奇想天外な漫画話でしかない事を知るべきである。換言すれば、自分の思念力の結果の運気ならば、自分自身の中に吉凶の答えがあり、達成領域の判断も出来うる話なのである。

 占いの指針は、ある意味で自らの確信や安心の糧であって、予言ではないことを知るべきである。占いの果たす役割は、自分と向き合う方法論の一助であり、又、人生の時間配分を考える一助であり、又、自らの特性、心理的背景の理解の一助である。人生の主役は自分であって、占いの結果が決めつけるものでは決してない。全てを解決しうる程に占術は万能ではない。科学と言えるほどに完成度の高い学問でもない。

 主体的に生きる人は、占術に頼ることなく、利用するに留まるものである。占い師という存在は、共に人生を語る仲間くらいに考えるのが良く、うまく活用する生活カウンセラーだと思うのが妥当である。私はそんなノリでお客様と関わっているのであります。ひとつ、よしなに。


 
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日曜日は博物館
- 2005/11/07(Mon) -
 上野。東京国立博物館・北斎展

 約五百点の作品群を観賞する。国内はもとより、ベルギーやら諸外国からも、この展示のために集められた貴重な展覧会である。ハタチあたりから、八十九才に至るまでの壮大な画業を網羅したもので、今後はこうした機会もないと思われ駆けつけたのである。日曜日ということでかなりの人出で館内は混雑して、思うように見物出来なかったが、それでも三時間強、じっくりと観賞。

 作品はデザインも斬新であの当時のものとしては、時代を遙かに超越して、未来を見据えていた天才である事が再確認された。

 かつて、私も絵の仕事をしていた事があるが、北斎の富獄三十六景から、赤富士や、神奈川沖波裏(波富士)など数点模写して、箔飾画(金箔や色箔を用いた装飾画)を描いて居た事があるので、懐かしい事しきりである。美人画も素晴らしく、髪の生え際の細密さに、かつて模写を断念した事など思い出したものである。 

 充実の一日であった。
 永き時代を経て、なお人の目に触れる世界、形として生きた証が残せる春秋こそが素晴らしい。絵画、書、彫刻、建造物もしかり。後世に伝承される文化遺産に関わる人々。そんな生き方に憧れた時代があったが、残念ながら、才も無く、日々無為に生き延びている訳である。


 
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ドメスティックバイオレンス・鬼嫁編
- 2005/11/02(Wed) -
 実占例 夫婦関係の占

 久々に相談室探訪です。

 西洋人の男性と結婚して六年が経過。男児一人(五歳)
 夫はメディア関係の会社を経営。従業員三十名を抱える企業主である。会社設立後十数年。業績は悪くはない筈という。
 この女性の悩みは、夫の立居振舞い、物言い全てに苛立ち、しばしば暴力衝動に駆られる事である。これまで何度も夫を殴りつけている。その感情が一体どこから来るのか? 今後の夫婦関係がどうなっていくのか? という相談である。

 現在、夫婦関係は最悪の情況で、対話も殆どなく、お互いが何を考えているのかも解らないという。夫はこの所ふさぎ込んでおり、会社に行くことも少なくなっており、業績不振で悩んでいるようにも見えるという。果たしてそうなのか、或いは鬱病にでもなってしまったのか?
 かなりの高級マンションに住んでおり賃貸料も百万近い生活なので、財政不安はない筈だという。夫は広い家宅なのに、いつも台所の換気扇の前に座り続け、ボーッとしている事が多いという。
 そんな夫に嫌気をさしているが、自分には何の特技も無く、子供が小さい事もあり、離婚する事も出来ず、日々悶々として暮らしているそうである。時折怒りが爆発して、夫に殴りかかる事があり、夫はただ怖がるばかり、この暴力衝動をいさめる事もせず逃げるだげのていたらく。ますます腹が立ってくるらしい。

 この女性、色浅黒く、煤けたような顔をしている。表情は暗く、思考が止まったように、話し方もたどたどしい。途方に暮れたような風情である。或いは霊障でも受けているのか? 精神状態もおかしいので、この女性の身命を立卦してみる。

五行易占法にて、雷風恒変沢水困を得る。寅月壬子日 寅卯空亡

 その人を表す位に官鬼が臨めば障りありと念じて、この卦を得たのである。「まるで刀でも振り回すように暴れているんですねえ。そう、ナタのような鈍器で斬りつける感じ。それこそ頭のてっぺんから炎でも出るくらいにいきり立って、一歩間違えば殺意に近い感情ですかね!」
 「えーっ? 何でそんな事が解るんですか。その通りです。上から腕を振り下ろすような感じだから、ナタで斬るみたいなものです。すごく腹が立って、かなりヒステリックになってます」

 本人を表す部位に酉の官鬼があって、金の鬼ゆえに、刀と判断したが、休囚(気が無く弱い)しているので鋭利なものでなく、ナタのような鈍器を想像したのである。卦中、五位にも申の官鬼が酉に化し進神となって月破で動いている。刃物が飛び交う情景が浮かんでくる。破ゆえに刃こぼれした刀をたたき合う音を連想させる。
 「戦国時代の武将か、さもなくば百姓一揆でもあった時の因縁霊が取り憑いているのか?」
 「そうなんですか? 何だか怖いですね。でも言われるとそんな気がします」何か思い当たる事があるような風情となる。先祖にまつわる事があるのかも知れない。

 「ところで貴女、馬が好きなんですね。乗ってみたいでしょう」
 「はい、すごく好きです。乗馬に興味があります」
 「馬の事を考えると気持ちが和む筈だけど…」
 「どうしてそんな事が解るんですか? 本当にそうです」

 酉の官鬼が午の子孫を化出して回頭の剋となっている。それで思うがままに語ってみたのだが、こんな解釈も成り立つのである。
 「そうだなあ、馬の飾り物、ペンダントか、ブレスレットを身に付けるといいですね」 
「解りました。さっそく身につけます。それに家に馬の置物がありますけど…」
 「貴女がご主人に殴りかかる場所は、ひょっとして家の西方向の部屋じゃないですか?」酉の官鬼ゆえ、酉は方位は西になるので、問いかけてみたのである。
 「そこは主人の部屋です。もともと夫婦の寝室だった所です。今は私は息子と南の部屋で寝てますから…。やっぱりその部屋で喧嘩になる事が殆どです」
 「じゃあ馬の置物はその部屋に飾って下さい。治まるかもしれない。南の部屋に居る時は気分もいいのでしょうね」南…午方位は子孫であり鬼を鎮める星神だからである。

 一ヶ月が経過して、この女性が再び尋ねて来る。

 表情はかなり、柔らかくなっており、色つやも良く、少し太ったようである。手首には馬をあしらったブレスレットをしている。
 「あれから主人には暴力を振るってないです。あの日、帰ってから、主人と話をしたら、『やっぱり君には取り憑いているものがあったんだ。その憑いている物の怪が怖かったんだ』って言ってました。それからは随分私が優しくなったから、最近はよく話もしてます」

 「この間は言わなかったけど、貴女、ご主人だけじゃなく息子さんにも暴力はあったんでしょう?」と問いかけると、
 「え? はい、そうです。子供も怖がってました。よく、息子は私の肩のあたりを指して『怖い、怖い』と叫んでました。何かが見えてるみたいです。でもあの日を境に言わなくなりました」
 子供には取り憑いている霊体が見えていたらしい。

 これは、確かに霊障があったのであるが、それもさることながら、この女性の過去のトラウマ、すなわち幼児体験に起因している事があるはずである。
 「ところで、貴女は小さい時に、親から体罰を受けたり、虐められたり、辛い思い出ではありませんか?」
 家庭内暴力、理不尽な親の圧迫情況を推理してみたのである。
 「父が凄い人間でした。よく叩かれて、ひどい目に合ってました」

 やはり、家庭内暴力の時代連鎖である。親の因果が子に報いといった、情緒障害の伝承である。霊障や先祖の因縁もあって、何か物の怪が取り憑いた事実もあるが、そうなる背景に、本人の恐怖観念や、知らず溜め込んだ恨み憎しみの意識構造の歪み箇所に霊障が入り込んだ情況なのだと思われるのである。

 この人の父親というのは、少年期に親からの激しい愛情差別を受けて育ったらしく、かなり荒んだ青春生活を送ったらしい。兄が優秀で、いつも比べられては卑屈な思いをして来たようである。一時期はヤクザまがいの境遇で、周囲から疎んじられる人間だったという。仕事はトラックの運転手だったそうである。42才の時に大腸ガンを患ってあっけなく亡くなったのである。酒乱で、泥酔状態となり、暴れ出すと手がつけられない人間だったようである。数え切れぬ程の暴力迫害を受けてきたそうである。母親も、決してかばってはくれず放置されていたという。それゆえ、母親への恨みもかなりあるという。
 この女性がハタチあたりで父親を失っており、悲しいと言う感情よりも、ホッとした思いのほうが強かったという。

 その後、恋人も出来たが、格別争いも無く、暴力衝動も無かったという。それから今のご主人と出会い結婚して、程なくして突如噴出した破壊衝動の虜となったのである。もとより、その父親への思いが心の奥底に沈殿して妙な精神構造を知らず醸成して来たのだろうが、ともあれ、今のご主人との関係で問題が発生しているのである。これは一体何故なのか?

 そこで、亡くなった父親の命式を調べてみることにした。
 庚寅年・戊寅月・庚寅日である。
 三柱しか解らないが、いずれも寅であり、偏った命理である。それよりも、愕然としたのは、この女性のご主人の命式である。
 
 庚子年・戊寅月・庚寅日である。
 つまり、生年の十二支が一字異なるだけで、あとは全てが同一なのである。
 
おそらく、現在の夫に亡き父親を投影させ、まるで仕返しをするように、かつて受けた暴力を与え返しているのである。まるで別人なのだが、干支構成において、生年支が一字違うだけで他は全部一緒なのである。この奇妙な類似が呼び起こした怪奇現象なのである。


 五行易は、納甲を附して占断します。同学の方は是非、詳細にて分析検討してみて下さい。また新たな解釈があるかも知れません。    
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