生きていく上で願いは大事なもの。望みもなければ生きられない。願って望んで,より良き人生を創っていきたい。ああなりたい、こうなりたい。あれが欲しい、これが欲しいと、皆様共通の問題である。占い相談の現場では日常的なテーマとなる。果たしてどれだけ自らの願望を達成できるのか? 又その願望が自分の立ち位置(情況)から見て叶えられる射程にあるのか、さらに叶ったとして、その事が幸せの確信に繋がるものかどうか? もっとも結局叶うかどうかは運次第*という事で皆様、我が相談室にやって来る。 さて、願望達成の方向性だが、「願っている事柄が自分の、どのあたりの心象から起こって居るのか」がまず第一。十分悩み考えた上の事か? そうならなければ、それが手に入らなければ生きていく意味も無いと思える程にひたむきなものか? 思い描く想念の強弱という事なのだが、自分の中から発するものか?或いは外的因子、つまり周囲の思惑や世間的価値感からの投影として意識が操作されているものか? ここから考察をはじめ、確信の域となれば、後は可能性の領域に指針を立てて行く。つまり達成の時期を設定する、そしてそのための準備行動の計画を立てる。事の大小にもよるが、「意識の持続と研鑽」が第二。 「願いは必ず叶う。想念のパワーで成功を手に入れよう。運は自らのものに出来る」自己啓発本のフレーズだが、真に受けて想念レベルだけ肥大した方達が大勢いるが、現実に達成領域を手に入れた人は皆無である。山の頂上に到達するためには、頂上にいる自分を想像して確信を持てば、もうそれだけでよい。実際、こんな思考パターンで地図も無し、ピッケルも無し、キスリングも担がず水筒、弁当(非常食)も無し、普段着のまま山中に入り失踪、迷子になってさんざん周囲に迷惑をかけるアンポンタンが沢山でてくる訳である。運は向こうからは決してやって来ない。自らの意志力と知恵と技術力と周囲の協力(協力を得るだけのひたむきさも必要)によって、機が熟した時に達成を手に入れるのである。よく相談に来る人、不動産売買などのブローカーの御仁、契約は取れるか? の占いで時期を告げるがいつも当たったためしが無い。何故なら、うまく事が運ぶと信じて、その後の折衝努力もせず,果報は寝て待てとばかり。すっかり願望達成の夢の中。 人生にチャンスは三回。どんな人にも大小を問わなければ相応の幸運期がある。まれに全く無い方も居られ同情の極地だが、ともあれ、そのチャンスを生かすためには、いつでも自らの希望、願望を思考の中心座標に置き、アンテナを張ることである。何も考えず、望みも無ければ、訪れたチャンス期には、ちょっともてちゃった、とか、財布を拾ったとか、パチンコで連チャン大当たり続出とか、そんな小さな幸せで完了してしまうのである。又、たとえば、資本提供者が現れたり、絶好の儲け話がやって来たとしても、なんのテーマも無い人間には乗れない訳である。いつも願いや望みを持ち続けチャンスを見張る。これが第三。 願望達成のワンツースリー。今日はこのへんで。
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皆様方に感謝感謝。ネットの仮想空間での出会いと対話。ここからも又、新たな想念世界が広がっていくのでしょう。日常は、お客様と直に対座して、会話のキャッチボールをしていますが、ブログの言語領域のみの触れあいから見えてくる人生の諸相もあり、新たな考察のきっかけになるような気がいたします。生きる事は、思う事であり、その思いの中から行動原理が生まれ、その行動から人生が創られていく訳です。意識や想念の有り様で吉凶禍福も知らず決められていくのです。 人は、生きた分だけ解り、解った分だけで生きる。どう解っていくのか? そこが問題。だからこそ一緒に考え、一緒に悩み、一緒に解っていく。 今後とも、皆様よろしく。
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康秀ブログ。略して公衆風呂。我が弟子に命名されてしまいました。もちろん混浴。心の汗を流し、魂の垢を落とす。たっぷり湯につかってスッキリしたところで風呂上がりには生ビール、じゃなくてアイスコーヒー、それとも冷やし緑茶にしましょうか? この三日ばかり、相談室のエアコンの室外機が故障して、全く作動せず、特設の蒸し風呂浴場となりました。常連のお客様、扇子片手にいつもの恋愛相談。話がややこしい所にさしかかると、扇子が止まり、どっと汗が噴き出す。「あれ*やばい、これ、マジ冷や汗ですよ」 やっと修理完了で今は快適環境に戻りました。
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祐天寺、占い相談室「美老庵」の鎌田康秀です。 いろんな人達との、出会い語らいの中から思いついた事を、気まぐれに綴っていきたいと思っています。占いの仕事というのは、それこそありとあらゆる人生の場面の諸問題を扱っていきます。仕事、事業、健康、人間関係、結婚、愛情、移転、独立、などなど。「身に起こる事はすべて心の写し絵」。語り合ううちに、その人の想念の有り様や感情がつぶさに写し出されてきます。そのとき、どう思い、どう心を創り、どう運命をデザインしていくのかを探っていくのです。辛い場面もあり、楽しい時もあり、共に涙したり、共に奮い立ったり、或いは共に落ち込んでみたり、一緒に、人生という舞台を演出して行きたいと願っています。そんな折々の事柄を、きまぐれに書いていこうと思ってます。よろしく。
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 いつまでも蹲っていないで 冷たく暗い地面に佇んでなんかいないで 立ち上がってみよう 思い切り背を伸ばして 空を見上げてみよう どんなに辛くても 苦しくても どんなに切なくても 哀しくても 燦々と降り注ぐ 陽の光 天からの輝く光を浴びたなら 胸の奥から 心の底から 勇気づけられる 悲嘆の心 折れそうな心を振り払って 新たな気持ちになって 立ち直ればいい 何度でも立ち上がればいい 又、書き直せばいい 人生の地図 何度でも書き直せばいいんだ いつだって 今から始まる人生がある 明日を創り出していける人生がある 何度でも 何度でも・・・
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