2008.10.11(Sat)


部屋番号を入れて それから呼び出しボタン
安全対策は万全 知らない人は
誰も入れないインターフォン・システム
でも心も感情もボタン式になってしまったら…
寂しいね なんだか切ないね
何もかもが無味乾燥
どれもこれもが無機質になっていく…
でも それはボタンを押す側の気持次第 思考次第
機械なんかに操られない感性を持っていればいいのだから
この文章だってPCのワープロの
キーホタンで印字しているのだから…
ボタンに操られず ボタンを支配する 自在に押す
ボタンを押しながら言葉を紡(つむ)いでいく
器械の世話になりながら ボタンに助けられながら
物質世界から支配されない精神世界を体現する
初めに心あり 精神の発揚あり
ボタンはただの道具
そして物質世界は人の思考観念の表象実体化の体現
そう思ったらいい
でも決して二律背反じゃなく 表裏一体の概念
そこでボタンは精神と物質を繋ぐものと思えばいい
繋ぐものだとすれば 『バトン式』 と呼んでみるのもいいかも……
相談室のビル 一階のインターフォンです
2008.10.10(Fri)

開けようとすると いつも閉まっている扉
押しても 引いても 蹴っても叩いても
体当たりしても びくともしない
固く固く閉まっていて 開きそうもない扉
だけど もしかしたら
諦めきって背を向けて 立ち去ろうとした時
『カチッ』 と小さな音がして
気が付いたら開いているかもしれない
無理矢理こじ開けようとしないで
さりげない日々の努力を重ねていれば
ある日
扉にそっと手を触れたら 自然に開くのかもしれない
まるで
誰かが 迎え入れてくれたように…
我が相談室の年季の入った扉です
中に入ったら 少し人生開けるかも…
2008.10.09(Thu)

たとえ 離れていても
普段は 言葉を交わさなくても
心が疲れ切ったとき
何かに行き詰まったとき
寂しさ哀しさに襲われたとき
モヤモヤした思いに包まれたとき
そんな気持を そんな想いを そんな心を
しっかり受け止めて 支えてくれる人がいたら
どんなことがあっても また立ち上がり
心に身体に 勇気が甦ってくる
現実の荒波にも逆風にも 敢然と挑んでいける
苦しい辛い思いの中で もがいてもがいて
弱り果て 潰れそうになった心を
支えてくれる人がいたら
再び明日への道を まっすぐに歩いていける
2008.10.08(Wed)

信仰は シンボライズされた運命への絶対視
いかなる運がやって来ても 揺らぎがない
決して逡巡したりしない 置かれた情況に振り回される事がない
存在意識が確かな宇宙観に支えられている
見えている世界が実体情況だとは思わない
自己実存は 何に依拠するのか? 生きて行く事は 生かされて行く事
大きな 宇宙の意志と 神の威光が 支え 育み 人は生きる 生かされる
生命宿る全てのものは 自分一人で勝手に生まれて来たんじゃない
生まれる必然と 生きる必然があっての事 心に神を宿す者は強い
信仰の道筋に直線的になる事が出来るのは、神の威光があまねく大地に降り注ぐと信じる国々の人達である。アラーもモハメッドもモーゼもキリストも釈迦も・・・
しかし巷に神々の溢れかえる我が国は、一部のカルトを除いては、神々の威光を戴く事もなく、心に宿す神もないのが現実。
自己存在の確証を得るための実存理念の揺らぎの中に生きる私達である。崇める対象も、御都合主義の御利益信仰でしかない。日常の中で神性に触れたり、心に神との合一感を持つこともなく、溢れる神達をその度ごとに使い分け、要らなくなったら何の感概もなく捨て去る。
こんなにも神との関係が軽視された私達の実情は、世界視座でも見当たらないだろう。
しかし、自らの実人生を見つめ、生きる必然に思いを馳せてみれば、解る筈である。勝手に生きているのじゃない。生かされている、大きな宇宙の意思と内なる心に魂の加護がある事を。
神の威光を戴く事は 内なる心の中の霊性に気付く事である。その威光は既に自分の魂魄に宿っている事を知るべきである。
ガネーシャ神
2008.10.07(Tue)

はっきり 「別れの言葉」を言われているのに
もう一度 確かめたくなる
いや 一度だけじゃなく 何度でも
何もかも 頭では解っているのに
心が受け付けないから
固く閉まった心の扉が 撥ねつけてしまうから
追いすがっても 懇願してもムダなのに
心が がんじがらめに縛られて
自分の思いに囚われて 耳を閉ざし 心を閉ざし
叶う筈もない 何の拠り所もない
幻だけを追いかけている
でも そう もう一人の自分が囁いている
「もうダメだから 他を見た方がいい」 と
わかっている 本当はすべてわかっている
だけど 今は聞きたくない
「あの楽しかった日々に戻りたい」 と
幼い自分が駄々をこねているから…
無理を承知で切望しているから…
もう二度と戻れないのに それでもまだ…
尖った残り火がすっかり燃え尽きるまでは…
2008.10.06(Mon)

自分を計る尺度が何処にあるのか?
何をして どう生きたいのか?
自分の人生は自分のものの筈なのに
取り巻く人々の視線を浴びて 見つめる顔の 表情に一喜一憂する
誰もあなたの胸の内を覗いたりしない 誰もあなたの思いを詮索したりしない
あなたは あるがままに生きて 心の赴くままに 行動していい
見つめる顔達は あなたがあなたらしく在る事を
自分が自分らしく生きて行く事を ほほ笑みながら見守っているのだから・・・
もし 見つめる顔達に非難や中傷や悪意を感じるなら
憐れみや同情 その裏にある蔑み そんな負の波動を感じるなら
それはあなたの心の中に 信念の希薄や行動原理の不確かさ
自分意識が出来上がっていない証し
写し返されるものに 自分の脆さを見て 怖れおののいている証し
心の座標 思考概念の基本軸が出来ていない証し
今の対人関係が苦しくて、その場から抜け出す事で全てを回避する。
環境を変えて新たな関係性の中に活路を求める人がいる。
でも、いつも同じ事の繰り返しとなる。
自分を持てない人、自分の姿を確かめるのに、見つめる顔達の波動に委ねる人は、何処までいっても周囲に振り回される人生となる。
自分を創る事、創っていく過程で少しづつ成長していく自分に自信を持つ事。
その波動が見つめる人達に伝わり、揺らぎのない自画像が出来上がっていくのである。
「人の目の中に自らの人生が写し出される」
これは真理であるが、人の目に自分をどう写す事が出来るかは、
自分の心のあり様、自分の姿の創り様次第なのである。
我が相談室のビル一階にある寿司レストラン前にある七福神
2008.10.04(Sat)

優しいとか 思いやりとか
真底相手のことを考えているはずと思いながら
実はまるで間違えていることが多い
時には拒むことも 断ち切ることも必要なのに
情が絡んで いつまでも引き摺ってしまう
優柔不断な心で 何も決めることが出来ない
そんなことはないだろうか?
そんなことで悩んではいないだろうか?
身体中に絡みつかれて 纏わりつかれて
蔦の蔓(つる)にがんじがらめに縛り付けられて
身動ぎも出来ず 心の自由すらも失って…
そんな情況になってもなお
自分がその種を蒔いていることに気付かない
何もかもが自分の心が創ったもの
原因の大半が自分の思い込み
それを相手のせいに 誰かのせいにしてしまう
求められてもいないのに 頼まれたわけでもないのに
勝手な思い込みや 自分の一方的な気持ちだけで
優しく労っている 思いやっている たっぷり情を掛けている
そんなつもりになっても
相手にしたら預かり知らぬこと
そう受け取って貰えないこともしばしばある
迷うだろう 悩むだろう きっと辛いことだろう
だけど 時には敢然と断ち切ることが
自分の心を解放し 自分の身を救い
それが相手への本当の優しさにもなる
勿論 相手が真から求めて来て
自分が心底から応えたいときには
溢れんばかりの思い 精一杯の優しさを注いで欲しい
気持が溶け合い 情を分かち合う瞬間を味わえばいい
でも
もし自分の身が心が危うくなりそうなときや
息苦しくなって 胸が詰まりそうなら
はっきり拒否の言葉を出そう
思い切って 断ち切った方がいい
ハザミと言葉は 使いようだから……
2008.10.03(Fri)


夜の帳(とばり)が降りて 街に灯りが燈る
仄かで優しい光の束が 道行く人々を照らす
誰も見上げることなんてない
知らん顔して通り過ぎて行く人達
そんな風に燈る街路灯
気付いてなんか貰えないけど
それでも暗やむ道筋をひたすら照らし続ける
「そんな灯り」にも似た 我が境涯…
灯りがほんのり輝いて 人々の背中を肩を心を照らす
冷え込んだ心に温もりを…
踏み出す心に奮い立つ勇気を…
迷い彷徨う心に確かな道標を…
悲しみ涙する心に柔らかいハンカチを…
傷を負って喘ぎ苦しむ心に白い包帯を…
共に語り 共に歓び 共に笑い 共に哀しむ
きのうを照らし 今日を照らし
明日を照らす そして未来を照らす
そんな街の灯り…
気がつけば
いつからか いつの間にか
「そんな灯り」に近い「そんな私」になっている
そしてこれからもずっとずっと
『そんな私』でいようかなと想う
『燈す灯り』加筆改稿
2008.10.02(Thu)

言葉が出てこない
何を言っても 返事がないから
何をしたって 知らん顔されるから
いろいろ やってみたけど
考えつくかぎりの事を試してみたけど
あなたは いつも冷たい横顔を見せるだけだから…
心も身体も 痩せてやつれて
もう 言葉さえ浮かんでこない
底冷えするほど寒い 寂しい
会っているのに 会ってない
ワタシの知ってるあなたが居ないから
なのに それなのに離れられない 別れられない
ワタシが弱いから? 依存してるから?
それとも執着が強すぎるからだろうか?
出会ったあの頃のように 優しい笑顔を見せて欲しい
思いやりを態度で示して欲しい
そう思いながら どうしたらいいかわからない
周りの人は皆 『やめろ』 『別れろ』 という
本当は自分でもわかってる
だけど もしかしたら あの頃のように
又もう一度なれるかもしれない
そんな微かな期待があるから
あなたのそばを離れることが出来ない
あの時のあなたが帰って来るかもしれないから
今日かもしれない 明日かもしれない
待ち続けているワタシ
「何か言って欲しい」 なんて思わない
冷たい言葉を突き付けられるよりは
ダンマリの方がいいかな?
なんて思ってしまう
でも 沈黙は 無視は『愛』の反対語なのだろう
もうちょっとしたら
あなたを嫌いになったら きっと別れるから
今はまだ そばに居させてなんて思ってしまう……
2008.10.01(Wed)

水面に花びらをうかべて
ゆらゆら揺れる行方を見ているように
心の揺らぎを 変化していく様を見守っている
ゆらゆら ふわふわ
漂いながら たゆたいながら
辿り着く岸辺を探すように
落ち着き先を捜している
今は 何も考えずに 他人事のように
この揺れを 心の動く様を
ただ見ているしかないのかもしれない
降り注ぐ陽の光をいっぱい抱いて
いつしか心が定まったら
花開くような笑顔になれるから
今はただ それだけ…
2008.09.30(Tue)

かつて 心は赤々と燃えていた
あの熱いものは 何処へ行ってしまったのだろう?
気付かぬ内に忘れ果ててしまった心を
ふと思い出した時の たまらない切なさ
冷たい風が心を吹き抜けていく
ポッカリと空洞が出来てしまった胸の中
そんな寂寥感に 為すすべもなく佇んでいる
もう一度 あの日のあの時の あの火を
灯すことが出来るだろうか?
胸から脳天めがけて突き上げるほどの
熱い思いを蘇らせるために
鮮烈な炎を燃え上がらせるために
青空を見上げて
流れいく雲に思いを馳せてみよう
夜空を見上げて
輝く希望の星を見つけてみよう
あの日 あの時の 心に今一度回帰して
火を灯してみよう
たとえ微かでも たとえ小さくても
キミの心に キミの胸に灯った火は
キミのその手で 大事に育てていけば
透き通った真紅の炎となって
やがて キミの明日に
人生の実りをもたらしてくれるだろう
生きる事は ただ時を過ごす事じゃない
明日を創る 人生を開いていく事なのだ
そのためには 赤く燃える熱情が無ければならない
右手に愛を 左手に熱情を!
明日があるかぎり 心には青春の熱き思い
人生を決めていくものは 胸に宿す 『思いのほど』 なのだ
2008.09.29(Mon)

もしも
忘れたくない人
忘れたくないものがあるのなら
心の中に 小さな可愛い家を建てよう
そして その人 そのもの専用の部屋を創って…
心の内側に入れば いつでもその部屋に入って
誰にも邪魔されずに好きなだけ会えるから…
亡くした哀しみ 癒えない追慕の想いがあるなら
小さな小さな 可愛い家の中で 花咲く庭で
愛しかったペットと遊べばいい
そして心の支えだった親や 親しかった人達と
心ゆくまで語り合ったらいい
その家 その庭 その部屋は
他の人には決して見えないのだから
誰にもわからないことだから…
あなただけの 密やかな楽しみ
憩いのひと時になるから…
2008.09.27(Sat)

どうしてキミは いつも苛立って
怒ったような顔をしているのだろう?
捉えきれない苛立ちの原因は
怒りの理由は 自分自身かもしれないのに
その胸に聞いたことはあるかい?
自分と話したことはあるかい?
立ち止まって その胸に尋ねてみるといい
何故 いつもイライラ キリキリして
身体中から怒りの波動を投げ掛け
吐き出す言葉もトゲだらけになっているかを
もしかしたら 思い通りにならない自分自身の
心や境遇が そうさせているのかもしれないから…
「心を開いて」 といっても無理だろう
でも ほんの少しだけ 隙間だけでもいいから
思い切って開けてみたらいい
キミの心に少しづつ 『気付きの風』 が吹き込んできて
胸の内に 温かいものが生まれるかもしれない
少しでも 和気のある表情になれたら
キミの悩みに共感してくれたり
悩みの原因に 誰かが解決のヒントをくれるかもしれない…
2008.09.26(Fri)

見えない世界への入口は
すぐそこにあるのかもしれない
あなたの立っている いつも通っている道のすぐそばに
まったく見知らぬ世界が広がっているかもしれない
ふっと
いつもと違う風が吹いたら
いつもと違う気配を感じたら
その場所を覗き込んでみるといい
立ち込める霧のように 曇った視界のその先に
新たな世界が浮かび上がって来るかもしれない
まるで蜃気楼のように 忽然と現われて来るかもしれない
何気ない日常の すぐ隣に
新しい世界が 新しい自分の姿が
見えてくるかもしれないから…
2008.09.25(Thu)

明日になったら
朝 目が覚めたら
心が軽くなっているかもしれない
小鳥の鳴き声に うれしい予感がするかもしれない
眩しいほどの陽射しの中に
幸運の使者が立っているかもしれない
そーっと手招きをして 光溢れる世界に
誘(いざな)ってくれるかもしれない…
そう思って そう言い聞かせて ベッドに入って
眠れない 苦しい夜を越えているのに
目覚めても 朝陽の中に立っても
ちっとも心は軽くならないし
幸せの近付く予感もしない
寝返りを打っているうちに
通り過ぎてしまったのかもしれない
そう思って 一晩中起きていたら
すっかり闇に閉じ込められてしまった…
それでもなお それだからなお
明日になったら 朝 目覚めたら
ワタシは陽の衣を纏い
空に向かって微笑んでいるかもしれない
それだけを願い続けて 夜の峠を越えていく…
2008.09.24(Wed)

よそよそしくなった あの人は
一体何を思っているのだろう?
何を考えているのだろう?
ずっとずっと友達だと思っていた
近付いたり離れたり いろんなやりとりがあったけど
もう随分と年月が流れている
急に優しくなったり 冷たく突き放したり
最近のあの人は 今までとまるで違う
恋人未満 友達以上の 距離感が続いていた
そんな関係性が一番いいと思ってたけれど
あの人の方はどう思っているのだろう?
別れるのは嫌だけど
かといって 恋人にもなりたくない
あの人は とてもいい人だけど
この胸が弾んだりトキメクことはないから
それはこれから先も同じだと思うから
変らない態度でいて欲しかった
これからもずっと…
それなのに…
あの人の態度の変化に 疲れたり不安になったり
時には癒されることもあるけど この胸が落ち着かない
はっきりさせたいけど はっきりさせることも出来ない
友達でいたいから ずっとずっと 今まで通りでいたいから…
愛情対象が曖昧なのは
自分の立ち位置がはっきりしてない証し
何処までこんな風にしていくんだろう
独りぼっちが辛いから 話相手が欲しいから
だから とりあえず誰かをつなぎ止めておく
向き合うことも出来ない相手なのに
いつまでも曖昧な関係を保ち続ける
そして意味のない葛藤を繰り返す
それがどれだけ自分の時間を
人生のタイムテーブルを失うことになるのか
本当は知っているのに 気付いているのに…
独りの寂しさを回避するために
ただそれだけのために 大切な今日を明日を
かけがえのない未來の時間を浪費している
「でも今はそんな運だから」
「新しい出会いなんて きっとまだないんだろうから」
「残された時間はまだたっぷりあるんだから…」
そんな言い訳をして 自分を慰める
そうして 時をやり過ごして
いつしか 取り戻すことも出来ない 時の流れに
愕然として 悔恨する日がやって来る
そうならないために 勇気が欲しい
自分を振り切る 断ち切る勇気が欲しい…
2008.09.23(Tue)

胸膨らむ 晴れやかに 心地よかった時は
過ぎ去ってしまった
まるで通りすがりの人のように…
あの人からも この人からも あっちから こっちから
いろんな人に声をかけられ 想いを打ち明けられ
みんなに笑顔を振りまいていた
嬉しくて 華やいで 心が満たされて
自然に胸を張って 颯爽と歩けた
溢れる自信で どんな人にも優しく出来た
あの花のオーラに包まれたような日々は
何処に行ってしまったのだろう
今 厚い雲に覆われた空の下を
重たい足を引き摺りながらトボトボと歩いている
ワタシは一体何なのだろう
いつまでも何処までも続くと思っていた
華やかな日々はもう戻ってこない
それは 秋の冷たい風と共に消え去ってしまった
でも本当の自分創りが 此処から始まるんだ
若さが放っていた波動が消えてから
芳醇で深みのある 熟成したものを…
もっと確かな 新たな「心の香華」を創っていく
それがワタシの人生の新たなページ
2008.09.22(Mon)

遊び疲れた子供のように
安らかな寝顔で眠れる日は来るのだろうか
ベッドの中で 何度も寝返りを打ちながら
錯綜とした想念の迷路を彷徨いながら 悶々と過ごす夜
ウトウトとまどろんでは すぐに目がさめる
薄明かりが窓から差し込み
小鳥達の朝の挨拶が聞こえて来る頃
やっと一時の安堵を覚えて 安らぐ眠りにつく
ベッドに横たわり 目を瞑ったら
すぐにも深い眠りの底についていた
あの頃が懐かしい
あの日に戻るためには
この胸のつかえを取り去り
何もかもを消し去って
晴れ晴れとした空間に身を置いて
自分自身を解き放つしかないのかもしれない
降り注ぐ陽の光に笑顔を向けて……
2008.09.20(Sat)

かたい背を向けて
頬を強張らせて 頑なに弱い自分を守っている
他人の言葉を聞かないのは 耳を傾けないのは
聞いてしまったら 心が崩れそうだから
カラカラと音を立てて 瓦解してしまいそうだから
脆い心 弱い心を守るために
ずっと 背を向け続けている
でも本当は
弱いからこそ 脆いからこそ
他者のアドバイスが必要なのに
さあ 振り向いて
さあ 心を溶かして
キミのことを真底考えてくれている人の言葉を
聞いてみないか 耳に入れてみないか
そうしたら きっと
周りの情景が 少し変わって見えてくるから
自分のことも もっと確かな実像が見えてくるから…
2008.09.19(Fri)


夏の終りは いつもさびしく
秋の気配は 心に郷愁を呼び起こす
空の色が変わり 自然の彩りが変わり
「時の旅人」 のように 季節は巡っている
肌に触れる風のそよぎが 心に染み込んでくる
爽やかだけど 少し切なげで哀しげな風の音
旅人のように歩き出す初秋の街は
何故かよそよそしく 人恋しさが胸に沸き上がってくる
背に受ける陽射しが次第に傾き始め
夜の足音が聞こえ始めた頃
胸の中に 小さな小さな明かりが
ポッと灯ったような気がする
仄かな温もりが心の内から立ち上がって
何もないのに 嬉しくなって…
思わず速足に 街を歩き出している
2008.09.18(Thu)


大気が滞留する所には邪気がとり憑く事が多い。外気を入れて気の流れを調えると共に、霊気を祓ったり浄化するために「盛り塩」をお勧めする。粗塩を酒盃か小皿に盛り、その場所の隅に置くのである。上下は問わない。窓があればそこに置いてよい。鬼門(北東)・裏鬼門(西南)の場所と限定しなくても良い。霊気の障りが必ず鬼門絡みであるとは限らないからである。むしろ家宅の設計上の問題で、大気が滞留してしまう場所が祓う対象となる。塩の量は10g程度(一握り)でよい。
トイレ、バスルーム、キッチンなども大気循環の悪い場所となる。又玄関は内外から様々な気が交錯する場所であり、住む人の運気を左右するので、日々の清掃と盛り塩が吉を呼ぶ。一週間から十日で塩を取り替えると良い。塩は水道に流して構わない。流しの浄化にもなる。
家宅の霊障の場合には水晶球を鬼門線(北東から南西)の両方に庭があれば、埋めるのが良策であるが、緊急には盛り塩で効果がある。
何故、盛り塩が効果があるかについては論理的には不明である。しかし多くの効験が示しており、試す価値はあると思われる。
古来よりお祓いには、麻、水、火、そして塩がよく用いられてきたのである。神事には塩が禊祓(みそぎ・はらい)に使われ又、供え物として機能してきたのである。神気宿るものとする考えである。心象も浄化され、清々しい気持ちとなるのである。
又、外出時にも少量を和紙に包み小袋に入れて携帯すると、雑多な浮遊霊から守られ、人の念(生霊)を遮断する効果がある。
或いは入浴時に湯に粗塩を少量溶き頭からかぶるのも、一日の内外の邪気を祓う方法である。
何の原因もないのに気持ちが塞がる時、或いは人と関わって気分がざわめく時には、自分の身体に塩を振り掛けるのもよい。
試して下さい。
復刻 掲載
2008.09.17(Wed)


太鼓の音が夕暮れの空に谺(こだま)する
街を行けば 方々に秋祭りの賑わいが聞こえてくる
その瞬間に心は 少年時代のトキメキに回帰して…
すぐにも神社の境内に足を踏み入れては
何を探すでもなく 歩き回る
イカ焼き チョコバナナ おでん 焼きソバ…
金魚すくい ウナギ釣り 射的 輪投げ…
そして演芸会の集い
楽しくて嬉しくて 夜が更けるまで
遊びほうけた あの日あの時
そんな情景が広がっては消えて
季節の通り道に しばし佇む
心の中に いくつも祭提灯を灯して…
酒も呑まないのに ほろ酔い加減で帰路につく
東府中 八幡様にて
今の時世を映すのか 露店が少いのが寂しい…
2008.09.16(Tue)

時に縛られている 時に縛り付けつけられている
本当は いつだって自由にいたいのに
気ままにあるがまま 為すがまま
流れる時もそのままに
何をしたっていい 何を思ったっていいのに
定められた時の中に 自分を嵌め込んでいく
タイムテーブルという限定枠に 自分を閉じ込めていく
腕には しっかり 『時の手錠』 を嵌めて
四六時中 自分を縛る 自分の心を縛っている
意識もせずに 自らが造った檻(おり)の中に閉じ籠って
辛い 苦しい とても侘しいと嘆いている
だから せめて自由に使える時間帯には
心の檻から 限定枠から思い切り飛び出して
自分と 自分の心を解き放ってみたらいい
そうしたら 今まで見えなかったものが見えてくる
今まで気付かなかったことに気付き
そして今まで 拘っていたものが
どれだけつまらない事かも解ってくる
時に縛られない 時に刻まれない
解放された自由な時空に居る
真底 豊かな自分に気付くだろう
時を計る 時のただ中にある自分を計る
時に縛られない自分を取り戻したら
時を 時の使い方を覚えたら
時計は 共に生きていく 心の通う同志となるだろう
『時のただ中で』 加筆改稿
2008.09.13(Sat)

通るべき道がある 歩くべき道程がある
それがたとえ イバラの道であっても
険しい道であっても けもの道であっても
それが ぬかるんでいたり凸凹道だったとしても
急勾配の坂道の時もあるだろう
歯を食いしばり 汗だくになって登らなくてはならない
深い山あいの渓谷に掛かった 揺れる吊り橋もあるだろう
怖さに足が震えても どうしても そこを這ってでも行かぬ限り
先にも後にも行けない時がある
とにかく進むだけ 進めるだけ進むしかない
回り道 戻り道もあるけれど そんな風に歩いていたら
抜け出ることのない迷路の彷徨い人になってしまう
辛くても苦しくても それが通る道…
そしてある時 岐路に差し掛かる
その時には 立ち止まって 悩んで悩んで 悩み抜いて
行くべき道筋 歩くべき道程を考えることだ
確かな道標を求めて とことん悩めばいい
でも 抜け道 隠れ道 或いは秘密の通路
そんなものを捜して徘徊してはならない
嘘や謀り事にあったり からかい半分の道先案内に惑わされ
どん詰まりの袋小路に入り込むことになるだけだから…
避けては通れない道筋 除けてはならない苦難の道程
その何もかもが 真に生きるための試練であり
そして 揺らがぬ心の座標を創る糧なのだから…
2008.09.12(Fri)

自分は正しい
考えていることも 行動も 何もかも!
だから 周りの人達は間違っている
そう思ったときから キミはすでに間違いを犯している
感情だけで判断しているだけのキミ
それは公平な見方でも正義でもないから
キミの腹立ちは何処から来るのか?
決して同意を得られないのは何故なのか?
自分の考えと感情をそっと脇に下ろして
心にゆとりを持って 周りを見渡して欲しい
ほら 今までと違うものが見えてくるから
狭い自分の殻に閉じ籠っていないで
もっともっと 広い世界に目を向けて
多種多様な人を見て欲しい
心を開いて もっと豊かな心象になるために…
いつまでも頑なになっていないで
いつまでも 尖っていないで…
2008.09.11(Thu)

『ここは何処?私は誰?』
自分が見えなくなってしまった
存在が希薄になって
自分が捕らえどころのないものに感じる
人の目に止まる事もなくなった
誰も見てくれない
視線を送っても振り向いてくれない
自分が置き去りにされたような
自分の心が捨て去られたような
あてどない寂しさ 哀しみ 苦しみ 焦り 苛立ち
思考が停滞して 周りがまるで見えなくなっている
何処に向かって行けばいいのか?
行く手には迷妄の 濃い霧が立ち込め
方向も解らす ただ闇雲に彷徨うだけ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんなアナタ そんなキミは
天が与えた 『運の狭間』 に居るのです
今は動きを止めて 自分と向き合う時
自分を 自分の心を内観する時
立ち止まる事も必要です
我に帰る 元の自分 素の自分に戻る時
それは 『自己対話』 のはじまり
無理矢理創った自分が 目的に向かい走り込んで来た
その 『思考と行動の基本軸』 が揺らいでいる
それを今 振り返り正す時
『運の狭間』 の閉塞は
ともすれば究極の自己喪失感となる
でも その原因はすべて
心の中にある座標軸の揺らぎです
もう一度 自分と向き合う必要のある時です
未来ビジョンも ここで
『心の中のスクリーン』 をまっさらにして
新たにイメージして 描き直すのがいい
身に起こる事は何もかも 心の写し絵ですが
今のアナタ 今のキミは
自分の描いた絵模様に惑わされ苦しんでいる
だから立ち止まり やり直したらいいのです
だけど どうやっても どう試してみても
解らない 混沌とするばかり
そんな時には 是非相談に乗りますよ
私も 何度も何度も立ち止まっては
何枚もの人生絵図の描き直しをしてきましたから… アハハ
『自己対話の始まり』 加筆改稿
『夜来香』イェライシャンの花
2008.09.10(Wed)

自分の想い願望 夢 希望
その達成領域が解らないのに
闇雲に走り出す時には
挫折や中断 混乱が待っている
でも それでも行動実践が無いよりはいい
動いた結果で考えてみる事も必要
たとえ挫折したとしても その挫折こそが
自分の心の奥底に 実体のある確かな経験則を創り出す
思いつきでも 自らの行動の方向性になっている時は
不確かであれ 座標軸の基本概念が捕らえられる事になる
考えて考えてから行動するのと
動いてみて 動きながら考えていく そんな方向性もある
たとえつまづいても その失敗挫折が生きた知恵となるから…
どんな行動も 心に如何なる覚悟があるかによって
結果の捉え方が異なってくる
それをどう見極めるのかが問題となる
身に起こる現象から自分自身を知る
取った行動の軌跡を捉え
その全てを達成への試金石とすればいい
失敗も挫折も自分の心に どれだけの覚悟があるか
それにより 乗り越え方が違ってくる
自分の立ち位置を見極め 新たなテーマの創造に
繋がっていく事 それが確かな明日を
実りある未来を創り出していく
2008.09.09(Tue)

心の泣き顔を隠して
精一杯の明るい笑顔で
まるで悩みなど何処にも無いような素振りをしている
気が張っていたから出来たけど
本当は指先でヒョイと押されただけで
あっという間に崩れそうだった
少し強い風が吹いたら ポキンと折れてしまいそうだった
部屋に辿り着いて ドアを背にした途端
涙が溢れ出たこともある
闇に閉じ込められ押し潰されるような 夜は辛い
でも また明日になれば 朝陽が昇れば
元気な振りで生きていける
毎日毎日 そんな風にしていれば
いつか きっと心の底から晴れやかに笑える
そんな日が来るかもしれない
いや きっと来る 必ず来るから
だから その日まで
無理にでも 辛い心は隠して
『心の泣き顔』 は隠して
明るい笑顔を作り続けよう
真底 喜び溢れる日がやって来るまで…
幸せも不幸せも 喜びも悲しみも
身に起こる事の何もかもがすべて顔に出る
顔の表情がすべてを語るから
それは明日の未来の自画像を写し出す鏡なのだから…
2008.09.08(Mon)


幸せになりたい! 幸せを手にしたい
早く 早く今の不幸から抜け出したい
幸せになるために 幸せを掴むために
日々努力して 耐えて耐えて
こんなにも辛い思いをしてるのに…
必ず 幸せになってやる
絶対に負けるもんか!
こんな風に誰しもが 『幸せ』 を求めて
辛い境遇と闘って四苦八苦している
でも ただ無闇に幸せを思い描いて求めたとしても
『幸せ』 を手にする事は難しい
自分の中で幸せも不幸せも きちんと定義づけ
その多寡 強弱 深浅を見極める事が大事
何を以て幸せというべきか?
何をして不幸せとするのか?
幸不幸は、自らの心の中にある価値観の産物であり、極めて抽象的で曖昧な概念ですが、それを確かな実体感として捉える事が、人生の善し悪しの決め手となるのです。
幸せも不幸せも、今の人生の現実の延長線上にある事を忘れてはならないのです。いかなる境遇に置かれているとしても、自分の実人生が不幸せであると実感してはならない。幸せから遥か遠くに居ると思ってはいけないのです。
今の不幸に負けてうちひしがれて、心を閉ざした者には.明日への希望を持つ事が出来ないからです。
「今は苦しいけど、必ず幸せになってみせる」 と苦虫を噛み締める。そんなあなたには明日を創り出していくのは無理な話です。 たとえ艱難辛苦の情況に在るとしても、大事なのは、苦境は明日を創るための試練であり、確かな 『思考と行動の基本軸』 を創っていく事の学習体験として理解するのです。だからその苦しみすらも楽しんでみる事です。
悲惨な境涯に居ると思われる人が、どこまでも明るく笑い飛ばして、今の実情を楽しむ風情で語る、そんな場面もしばしばある。こうした境地は、運命の吉凶成敗、幸不幸も生きる「実人生の彩り」なんだと笑い合うのです。自分の心象の意識レベルが確かなものであれば、日常の苦難を正面から受け止めて、感情領域の混乱も食い止める事が出来るのです。
又、お金や仕事の成功や社会的名声といったものは、幸せの裏付けに欠かせないものです。しかしこれこそが幸せの実体と定義付けしても、達成の暁に心は落ち込むばかりの現実となるのです。彩りでしかないものを人生の目標にするのは愚かな事と知るべきです。何かを求めて、苦しみながらも、その達成領域を身近に感じながら生きる事こそが、本当の幸せの実体、醍醐味というものです。
いつでもどんな境遇でも、幸せの自覚が大事なのです。明日を創るのは、そんな幸せ感の拡大と達成に向かう意識なのです。
必ず明日はやって来る。明日の幸せがやって来る。そして明日の絵を描くのは、今日のあなたの心なのです。
調布駅南口広場の時計台の昼と夜。
毎時高らかに時を知らせる様々なメロディーを奏でます。
2008.09.06(Sat)

木に登って魚を獲る
海に潜って兎を狩る
そんな無いものねだりは不幸せの元
願うものと 叶うものとを間違えないように
人には自ずと定められた命運があり
これを宿命と言う
悲しいけれど それは事実
その見極めをしないと 人生は不幸せの連続
失敗 挫折は自分を知る手掛かり
叶うものの 全体像を知る
願うものの境界線を知る
そして願いを叶えるための知恵や技術を知る
運命を創る自分の心の有様を見つめて
確かな実体を持った方向性が見えた時に
自分を知ったことになる
どれだけの実が成るか
授かる実の全てを貰い受けるための自分を創っていこう



